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いわせんの仕事部屋

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速報:あすこまさんのお話を聴いてきた。

忘れないうちに,夕食前にメモ書き。

まだ修正してないので、まだ未完成ですが、とりあえず。もう少し深めたいこと,書きたいことが2,3あるが、それはまた改めて時間ができたときに。今回は速報です。

 

今日は、西多摩PACEに子連れで参加。子守担当だったので子どもに付き合ってもらった。まあ、大人の学びの場を感じるのもいいことだろう(言い訳)。

西多摩PACEは、盟友・甲斐﨑が主催するサークルで、近所でやっているのだが、まだ参加は数回(笑)。
今回は、あすこまさんのお話。あすこまさんは中高一貫校の国語の先生。ライティング・ワークショップを2008年から実践されていて、最近までイギリス、エセクター大学に1年間留学し、研究されていた。
ボクは、『作家の時間』を出版したことからもわかるように、ライティング・ワークショップを実践し続けてきた。
その可能性を実感していると共に、その難しさも感じていた。そこで今回のお話。


研究からみたライティング・ワークショップってどうなのだろう。効果と課題って?
最も関心の高い内容の1つ。あすこまさんはブログも書かれていて、そこでも学ばせていただいてる。

askoma.info

このブログ、すごいっす。作文に関心がある方は必読。

今回なにより期待していたのは、
ナンシー・アトウェルの学校訪問のお話。リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップを実践している人にとっては神様みたいな人。
その学校を日本人で初めて参観されたあすこまさん。
これはもう行くしかないのでした。


ライティング・ワークショップがどのような実践かは,関連書籍を読んでいただくとして、

 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

  • 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
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作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

 

 

今回のお話では,研究から見たライティング・ワークショップの効果と批判、課題が興味深かった。実践者はこんな風に研究を参照しながら自身の実践をブラッシュアップしていくということが重要なはずなのだが、日本では(自分も含めて)それがとっても弱い。あすこまさんは、目指したいモデルのお一人だ。

 

今日あすこまさんの話で印象的だったのは「苦手な子への効果は認められない」ということ。何が要因なのかは検討が必要だ。教育社会学では、自由度の高いカリキュラムは学力差が広がると検証されていることが多い。ライティング・ワークショップでも同じことが起きやすいのかも知れない。
楽しそうに書いている(動機づけられている)からそれでいいのか?今までの作文教育より楽しい(楽しそう)だからそれでいいのか、そもそも何のためにライティング・ワークショップを取り入れるのか、は問い直したいところだ。
(ただ、イコールよくないというわけではない。そこを超えることはできるはず。その危険性を認識していることが大切だろう。そしてなによりも楽しいことはいいことだ。)

効果に関しては担当の教員による、と考えるのが妥当だろうし、あすこまさんも似たようなことをおっしゃっていた。ワークショップオールオッケー!ではないということだ。

 

 

一番楽しみにしていたナンシー・アトウェルの学校の話。彼女がつくった学校での実際が知れたのが今回の一番の収穫。あすこまさんのリアルな参観記に、もう興奮が止まらなくなった。

www.youtube.com

 

時間割を見るとほぼ毎日90分のリーディング、ライティングの時間があり、毎日30分の読書の宿題があるほど,読むこと・書くことを徹底している。
意外だったのは、生徒同士が学び合う時間はほとんどなく、「淡々と個人作業」(あすこまさんの言葉)しているということ。
教師の「読むこと・書くことの専門性」と「生徒理解」に裏打ちされた個人へのカンファランス(個人への指導・支援)が中心になっている。先生が「個人に対して教える」ということが大切にされる。
ここは考えさせられるポイント。

ボクらが依拠した『ライティング・ワークショップ』は教師の立ち位置はファシテータ-に近い。
あすこまさんの話では、ナンシーアトウェルも第1作の本ではそうだったが、次第に「教える」ということに軸足を移していったらしい。

日本のライティング・ワークショップの実践も第1期(アメリカでの80年代)がそろそろ終わることなのかもしれない。
プロセスに着目し、学習者が「作家になる」というワークショップの学び方が、これまでの日本の伝統的な授業のあり方に一石を投じたのは間違いない(と思いたい)。

しかし、その実践はどうしてもプロセス重視で、コンテンツの部分が弱かったのではないか(特に小学校教員)。
これは何もライティング・ワークショップに限らない。ファシリテーションのプロセスでの機能を活かしている他の実践にもいえることだ。
そしてこれは決して悪いことではない。
これまでは「教える」に重心を置きすぎ,学習者の学びのプロセスへの関心が弱かったと考えるからだ
しかしそれだけでは、「活動あって中身なし」になるのは間違いない。
もう一度、コンテンツの重要性を再認識すべきときなのだと思う。2つは両輪だ。当たり前と言えば当たり前なのだが。

「読むこと,書くことの専門性が高さ」と「学びのプロセスのデザイン」の両輪が回ってはじめて、このような実践が「学習者のためのもの」になるのだろう。

「個人に教える」ということの価値を改めて考えたい。それは一斉授業だー!ということではなく、学習の個別化の方向性だ。

日本でのライティング・ワークショップの実践が第2期へ向かう時期なんだと今日確信。

ちょんせいこさんが、「ゴリ(ボクのこと)、大事なのはコンテンツやで」と出会って以来ボクに言い続けてきてくれたことが、ドスンと腹落ちした1日でした。

いやあ、おもしろかった−。
こういう話きくと現場に戻りたくなるなあ(笑)。

今日は,研究室の院生も3人来てくれた。
今日この話を共有できたことは、これからのボクらの学びにとって大きな意味があるな。

 

 

というわけで速報でした。

教師が書き続けること、学習環境、についてもまとめたいので改めて。

アトウェルの学校は「芸術を核としたコミュニティ」だったそうです。ボクは何を核にしたいだろう。

そして改めてライティングワークショップ、リーディングワークショップの魅力を再確認しました。

 

それにしても、あすこまさんってすごい。

研究者的な実践家。

理想的な姿だ。