いわせんの仕事部屋

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一年前のメモ。学び続ける教員とは?

【メモ:学び続ける教員とは?①】

「学び続ける教員像」みたいなことが言われています。
教員は学び続ける存在。
それ自体はよく分かります。
ではどうやって?
こういう話は、一人ひとりの教員個人の取り組みに還元されがちですが、けっこうそうではないとボクは思っています。
それって危ない。いわゆる「自己責任論」ですね。

学んでないのはおまえのせいな。
うまくいかないのはおまえのせいな。
これって本当でしょうか?

本来、誰しも教員として成長したいとは思っている。
そういうボクたちに、
「学び続けたいと思える環境が保障されているか」どうか。
ここが決定的に大事だと思うのです。
これを抜きにした「学び続ける教員像」の議論は危ない。

教室も同じです。

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?②】

学校の中にいかに「学び続ける場」をつくるかは、
年齢構成が大きく変わりつつある学校現場にとってはより重要です。
かつては、教員になれば、その現場で「先輩から学ぶ」がある程度機能してきました。
私事で恐縮ですが、かく言うボクも、1校目でも2校目でも3校目でも、思いっきり厳しいフィードバックをくれつつも、いろいろ教えてくれたり、協働できたりした先輩がいました。狭山市駅前で夜中の2時まで酔っ払って説教されたことも。「おまえみたいに自分のことしか考えてない研究主任に誰もついていくわけねーだろ!!」。泣きながら聴いていたことを覚えています。話がそれました。
職員室での学びなくして今のボクはないなあ、と思うわけです。

しかしそれが難しくなってきている。
どうすればよいでしょうか。
「教員が学び続ける環境」として、メンター制やOJTが取り入れられていたりもします。なんとか構成的に同僚性をつくろうというわけです。
このような営みはこれからますます重要になってくるでしょう。

まずは職員室自体が
「学習する組織」になっていく、ということです。
この職員室で大切にされることは、教室で大切にされることと入れ子です。

職員室自体が、ケアし合い、学び合い、成長しあえる組織になること。
これにつきます。

 

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?③】

だがしかし。
メンター制やOJTの最大(? 当社比)の欠点。
それは、中原さんが以下の記事で喝破していますが、

・OJTの学習効果は「師」に依存する
・師の能力を超えることは、学べない
んですよね。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131216-00030679/

変化が求められる学校教育。
自分が学校で体験していない、教わっていない方法で授業をすることが求められています。アクティブラーニングとかいって。

その点、メンター制やOJTだけでは限界がある。
退職校長が初任者指導に当たる、というシステムもいいところもありますが、上記のような欠点もあるわけです。

ワンセンテンスで言うと、
イノベーションがおきない、のです。

どんどん「小さく」なっていってしまう。

 

 

 

【メモ:学び続ける教員とは?④】

まずは、先生がエンパワーしあえる環境を学校内につくること。
これにつきます。
教委の仕事はこの支援です。

だがしかし。メンター制やOJT、その他の様々な仕掛けにより同僚性が築かれたとしても、それだけではだめなわけです。

ではどうすればよいか。
うむむ。知恵を求む。ない知恵をしぼると、

一つは外にある民間の教育団体やサークルへのアクセスをもっと公的に支援してはどうでしょう?
そこで学んだことをそれぞれが現場に持ち帰り、学び合うことを支援する。中と外がつながる仕組みが必要です。
外にはたくさんの知恵があります。それを活用しない手はない。「中と外をつなぐ仕組み」。

二つ目は、「想定外の未知のものにであう」体験。
ボクたちが学校の中にいただけでは思いつかないような学びのあり方が社会にはたくさんある。
そういう場に積極的に出かけていく。出かけていくことを支援する。「民間企業への派遣」というのではなくてね。
見なくてはわからない。見ることで改めて自分の学校を見直すことができます。
そういう意味では、学芸大の教職大学院の授業での夏の課題、「大人のワークショップに参加してくる」は、手前味噌ですがなかなかいけてます。

もう一つ。
ボクはこの4月に大学に来て一番実感したことなのですが、
教員としての力量を高めるための専門知、みたいなものは確かにあります。
問題は、普通の先生がそのような知恵にアクセスできる環境がない、ということです。

同僚性の中でエンパワーされ「学びたい!」と思った教員がアクセスできるようなコミュニティが用意されている必要があります。学会ではハードルが高い。
もう少し気楽にアクセスできるコミュニティ。
そういう意味で、研究者はもっと「現場で協働する」にシフトする必要があります。
研究と実践に上下はありません。
上下の方向性の研修や場が多すぎます。

同じ場で学び合う、参加のハードルの低いコミュニティ。中から外へだけではなく、外から中へも。
夢物語のような感じもしますが、でも大事だと思うのです。
「中と外がつながれる仕組み」をもっと検討するといいなあと思います。

ここまで書いてきたことがつながっていくと、
ゆくゆくは、ハーグリーブスのいう「専門職の学び合うコミュニティ」が生まれていくのではないかと、思うわけです。

この夏、いくつもの学校で校内研修、教委主催の研修に参加してきました。とても熱心に参加してくださり、ボクは確信しました。なんとかしたい、学びたい、とほとんどの人が思っている。

でもチャンスがなかった。チャンスを待っている。環境を待っている。
今までの研修のあり方自体を見直す時期です。
スペシャルにやる気のある先生、だけではなく、普通の先生が学び続けたい、と思え、それを支える仕組み。
その視点を大切にしたい。

 

        *  *  *

 

というわけで、「学び続ける教員とは」で考えたことを一気にはき出してみました。是非いろいろご意見ください−!!
取り敢えずノーミソの中を吐き出してみました。まだ生煮え。
改めて後から眺めてみよう。