ドアを開ける
研究室のドアを開けっ放しにして、はや1週間。
大学院に来てから1人の時間がとても多い。
院生の皆さんとコミュニケーションとる機会が少ないなあと寂しく思っていたのです。こんなにウェルカム感を出した部屋なのに。
この感じが逆に引くのか、もしかして!!
が、その話をある院生としたら、
「どの先生もお忙しそうで、声をかけていいか躊躇するんですよね」
「なんか入りづらくて」
との声。
なるほど。
ドアが邪魔していたのね。
というわけで、開け放つことにしました。
最初の頃はあまり効果ないなあ、と更に寂しくなっていたのですが、
徐々に増えて参りました。
今日は続々と来て、授業の話、学校の話、教育の話、研究の話いろいろできて幸せな時間でした。
人と人との間にはドアがある。
コミュニケーションをとりたい!と思っていても、
実はこちらのドアが閉まっている、という場合があるんですよね。
相手のドアをどう開けるか、よりも
まず自分のドアを開ける。
そうすると、うっかり入ってしまう人が増える。
相手のドアを「あけろー!」とガチャガチャするより、
自分のドアをそっと開けて、静かに待っていたら、
必要なコミュニケーションは生まれるんだよなあ。
あの人はわかってくれない。
あの人との間には壁がある。
あの人はどうも苦手。
あの人は自分を嫌ってる感じがする。
あの人とはあわない。
なんかそう言いたくなる時って、
実は自分のドアを頑丈にしめていて、
相手が入ってくる余地も、相手が見えるような隙間も、
空いていないことが多いんだろうな、きっと。
まず自分のドアを開ける。
問題は冬だよなあ。凍え死にそう。
追伸。
大学もまた実践の場であるという当たり前の事実に気づき、
今日は前から実践してみたかった授業をTTの授業の中で60分もらって実践。
あー、楽しかった。もちろん改善点もいろいろ。
やってみて気づくことがあります。
今日は実習のリフレクションをメタリフレクションして、
これから探求していく「問い」をつくるワーク。
そのワーク自体を、
現場に出たときに授業に生かせるフレームという入れ子構造にしてみました。
週末に院生の「振り返りジャーナル」が届きます。
このような教師教育の「授業実践」自体を「実践研究」として記述していき、共有するような場があるといいな。