エンドユーザーを見失いそうになるとき。
火曜日に、横浜市立永田台小学校の校内研修に参加させていただきました。
3つの授業を見せていただき、放課後に研究会が行われ、さてボクの出番です。
20分間の中の「指導講評」の時間。
ボクは今回のこの時間に一つのルールを自分に課しました。
「事前に準備しない。」
ボクはわりと小心者で、特に大人対象のワークショップや研修では、事前にきっちり準備しておきたくなっちゃいます。
でもそうすると、ついつい、
「自分が話したいこと」にフォーカスしちゃう。
いいところ見せたくなっちゃう。
事前に準備しておかないとなんか不安。
今回の研修会の一番大切なエンドユーザーは授業者の3人であり、
永田台小のみなさん。
だから、その場でちゃんと感じようと。
「その日の参加で感じたことから、一番大切だと思ったことを話す」
と決めました。
永田台の先生にメールで「事前準備やめました!」と宣言して、自分で逃げ道をふさいで。
そこまで作ったパワポをポイッとゴミ箱へ。
震える手で「ゴミ箱を空にしますか?」の問いに、「はい」としたわけです。
準備したものをすべて捨てました。
そして本番。
授業を見ているうちに、ああこのことを3人の先生と共有したいなあ、と思うことが湧き上がってきました。
でも。
今回の研究会は外からもたくさん参会者がいて、なんだかエライ人もいるみたい。
そうすると、自分の中の奥がもぞもぞ動きだすんです。
いいところ見せたい。
無難に終わらせて批判されないようにしたい。
指導講評っぽくしちゃおうかなあ……
ググッとエンドユーザーが自分に戻ってしまう。
ボクのための時間にしたくなっちゃう。
大きく深呼吸。
何のために今日ボクはここにいるのか。
ていねいにていねいに思い出す。
終わったとき、どうなっていればいいのか?
今日の授業を振り返って、
参加者の成長や気づきのきっかけになる「種」をまけていればいい。
いい意味での「もやもや」が残って、考えつづけ、試行錯誤しつづけるきっかけになればいい。
子どもたちが何を体験しているかに想いを馳せるきっかけになればいい。
となると。
ボクがやるべきは、「回答を示す」ではなく「問いを残す」こと。
もう一度大きく深呼吸。
恐れを超えて一歩踏み出してみよう。
恐れも勇気も伝染する。
だったらボクが「いまここ」で発揮すべきは勇気だ。
というわけで、今回は「指導講評」ではなく、
「子どもの姿から一緒に問いを探す」
時間にしたのでした。
どうだったか。改善の余地は大あり。
今、永田台小の方々がフィードバックを書いてくれています。本当にありがたいです。
振り返ってみると、
ボクは授業公開だったり、外の人に授業を公開したりするときに、
「いいところ見せたい」
「力があると思われたい」
とエンドユーザーを思いっきり自分に持っていったことが多かったなあ。
そうすると、とたんにボクは臆病になっていました。
または傲慢になっていました。
「誰のための場なのか」
その場での立ち方を、こんなふうに問いにすると簡単なんだけれど、
実践するのは本当に難しい。