これからの学校と学びを考えるための本リスト30【2019年3月改訂版】
これからの学校と学びを考え、実装する際に前提として共有したい本。
これからの学校、教育を考えるとき、ついつい私たちはこれまでの経験や信念から出発してしまいがち。しかしそれでは生産的な時間を生み出しにくい。
まずはここまではインプットした上で構想したい,そう考えています。
★大前提
①②
すべてはここから始まります。何度読み返しても発見があります。さらっと読み流していたところが、読み返すと「がつん」と入ってくることがあります。
ちなみにわたしの『教育の力』はもう3代目。1代目には2014年に苫野さんにもらったサインが入っているんですよね。なんだか感慨深い。
そして、新刊が出ます。
③
「探究をカリキュラムの中核に」 を前面に出して,さらに具体的な構想に踏み込んでいます。3章4章は必読。
軽井沢風越学園設立準備財団でも、この本までの議論は前提の上で進みたい。
★子ども、幼児教育
④
子どもの世界をどうみるか 行為とその意味 (NHKブックス)
- 作者: 津守真
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 1987/05/01
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本城と岩瀬が最初に共有した本。
⑤
★遊びと学び
この西川さんの本も大前提。
学校と学校外、遊びと学びを分けないで考える。
「子どもの育ちに必要な場って?」という問いを立てたい。
⑥
異年齢を考えるならこちら。
⑦
これも本城に紹介された本。やはりいいなあ安野さん。
⑧
★自己主導の学び、学びの個別化のカリキュラム。
⑨
ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方
- 作者: キャロル・アントムリンソン,Carol Ann Tomlinson,山崎敬人,山元隆春,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/03/17
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紹介はこちら。
これもでましたね。
⑩
- 作者: C.A.トムリンソン,T.R.ムーン,山元隆春,山崎敬人,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2018/09/07
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⑪
ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命
- 作者: マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー,小松健司
- 出版社/メーカー: 教育開発研究所
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これはこちら。
★ワークショップの学び(ゆるやかな協同ベースの個の学び)
⑫
ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)
- 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2007/03/01
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⑬
リーディング・ワークショップ?「読む」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ《ワークショップで学ぶ》)
- 作者: ルーシー・カルキンズ,吉田新一郎・小坂敦子
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2010/07/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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⑭
ワークショップの学びを学ぶならこの本を読まないわけにはいかないですね。アトウェルの専門性の高さに圧倒されます。カリキュラムは最後は人なのだと痛感します。学びつづけ、磨き続けるほかありません。
⑮
- 作者: リンダダーリング‐ハモンド,Linda Darling‐Hammond,深見俊崇
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2017/05/26
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『パワフル・ラーニング』は、探究の学びのカリキュラムデザインにも必須の本。
★探究
⑯
⑰
⑱
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
- 作者: ダンロスステイン,ルースサンタナ,Dan Rothstein,Luz Santana,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2015/09/04
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井庭さんの「クリエイティブ・ラーニング」の提案に共感。序章必読。がつんと来ますよ。
⑲
クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育 (リアリティ・プラス)
- 作者: 井庭崇,鈴木寛,岩瀬直樹,今井むつみ,市川力
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 2019/02/23
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図工・美術、音楽、技術家庭、体育を統合したPBLカリキュラムを考えるためには以下の2冊は必須。
⑳㉑
作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)
- 作者: Sylvia Libow Martinez,Gary Stager,阿部和広,酒匂寛
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2015/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則
- 作者: ミッチェル・レズニック,村井裕実子,阿部和広,伊藤穰一,ケン・ロビンソン,酒匂寛
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2018/04/12
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★学校づくり
㉒
アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで
- 作者: 赤木和重
- 出版社/メーカー: ひとなる書房
- 発売日: 2017/01/16
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アメリカの貧困地区の公立学校のルポもさることながら、新しいインクルーシブ教育を展開している私立小学校の紹介を通じて、「インクルーシブ教育の新しいかたち」が提案されている本。 ボクは特に第3部にしびれました。
第3部 インクルーシブ教育の新しいかたち
第1章 小さな私立学校とインクルーシブ教育
第2章 New Schoolの概要
第3章 流動的異年齢教育
第4章 流動的異年齢教育を可能にするもの─個別化・協同化・プロジェクト化
第5章 流動的異年齢教育の意義
第6章 インクルーシブ教育の新しいかたち─違いを大事にしながらつながる
ぼくらが軽井沢風越学園で実現しようとしていることとの共通点の多さにも驚きました。現地の情景が浮かぶ読みやすい文体。一見軽いタッチの文章の中に、本質的な問いが浮かび上がってくる。現在の日本のUDへの批判も柔らかく、でも鋭く練り込まれている。いやあ、すごい本だ。
㉓
イギリス教育の未来を拓く小学校 「限界なき学びの創造」プロジェクト
- 作者: マンディスワン,アリソンピーコック,スーザンハート,メリージェーンドラモンド,藤森裕治,新井浅浩,藤森千尋
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 2015/07/01
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学び続ける学校の具体例を知りたい場合はこちら。
学校づくりを考えるならこちらも大前提。財団のある若いスタッフには,「これ読んだけど,あまりワクワクしませんでした」なんて強者がいます。頼もしいな!
㉔
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
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これ,紹介忘れてた。最近読みましたが、共感することばかり。自分が考えていたこととつながること多し。稲垣さん翻訳だったのですね。もっと早く読んでおけばよかった。今の公立でいきなりできることは少ないけれど,知っておいていい枠組み。
㉕
情報時代の学校をデザインする: 学習者中心の教育に変える6つのアイデア
- 作者: C.M.ライゲルース,J.R.カノップ,Charles M. Reigeluth,Jennifer R. Karnopp,稲垣忠,中嶌康二,野田啓子,細井洋実,林向達
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2018/02/21
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今の学校で小さく始めるにはこちら。拙著で恐縮です。
㉖
シンプルな方法で学校は変わる 自分たちに合ったやり方を見つけて学校に変化を起こそう
- 作者: 吉田新一郎,岩瀬直樹
- 出版社/メーカー: みくに出版
- 発売日: 2019/03/15
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実は学校の組織作りで学校教育分野に参考になるのってほとんどないんですよね。
組織作りの視野を広げよう。クルミドカフェの影山さんの本はステキ。続もよかった。続はクルミドカフェに行かないと買えないんですよね…残念!
26
- 作者: ジャルヴァース・R・ブッシュ,ロバート・J・マーシャク,エドガー・H・シャイン,中村和彦
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2018/07/04
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歯ごたえありすぎる本ですが、学校を考えるなら組織開発は学んだ方がいいと思います。中村和彦さんの『入門組織開発』を読んでからでいいかもしれません。
㉗
ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~
- 作者: 影山知明
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2015/03/21
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★技法以前。
教育って結局、ぼくら自身の「あり方」がスタートなんだと思います。本を読んだからどうにかなるという問題ではないけれど、でも読んで考えるのって大事。
㉙㉚
技法以前―べてるの家のつくりかた (シリーズ ケアをひらく)
- 作者: 向谷地生良
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2009/10/01
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かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から (ちくま文庫)
- 作者: 西村佳哲
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/10/08
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あえて、具体的な方法の本はできるだけ選ばないようにしてみました。
まずは根っこになる考え方や知見を。
あなたの1冊もぜひ教えてください!
シンプルな方法で学校は変わる。
教員をしていた若い頃、学校には不満ばかりあった。
慣例が多すぎて変化しない。何も変わらない。自由な実践をさせてくれない。認めてくれない。自分だけ頑張っても などなど。
まあ端的に言えば、自分の目からしか世界を見ていないのでそれが全てと思っていたわけだ。「自分は頑張っているのに」「自分には見えているのに」「自分は学んでいるのに」という、どうしようもない自尊心のようなメガネをかけて見ているわけだから、そうにしか見えないのはある意味当然だった。
教員になって10年がすぎた頃。埼玉県の長期派遣研修で大学に戻る機会に恵まれた。
「全国の学校を見にいこう!」と名だたる学校を山のように見に行ったけれど、自分が働いてみたいと思える職員室、教室にはなかなか出会えなかった。
その中で1つだけ、教員が楽しそうに働いている学校があった。
それが新潟県上越市立高志小学校。
なぜこんなに楽しそうなんだ?の謎を知りたくて通いつめた(近くの宿のスタンプがいっぱいになって1泊無料になる程)。そして勝手にレポートを書いた。
http://www1.s-cat.ne.jp/iwase/upfile/kyoudoubunka.pdf
一人ひとりが自由に実践をして、それをレポートにして読み合う。管理職も「学び手の一人」としてレポートを書いてフラットに参加。ひたすらそれを毎月繰り返す。
ただそれだけのシンプルな方法なのに、いい実践が広がり、教職員は実践の話を日常的にし、何より楽しそうだった。
シンプルな方法だけれどその中には、人という存在をどうみるか、組織をどうみるか、という考え方が内包されていた。シンプルな方法と考え方が両輪のようにぐるぐる回ると組織って変わるんだということを体感できた学校だった。
次は自分で実践してみる番。
当然思い描いたようには進まず、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの大変な3年間だったけれど、正直たくさん泣いたけど、
「月曜日に来たくなる職員室」をテーマに進んだ組織開発の3年間は、「なんだ、公立の学校だって変わるじゃん!」という、今思えば当たり前の確信を自分の根っこに据えることのできる体験になった。その実感値があるから、小金井三小の研修の伴走にも「大丈夫、絶対自分たちで変えていくよ」というぶれない軸みたいなものが自分の中にあった。
変わらない、と思った時点で変わらないし、「どこから変わっていこうか」と問いで学校を手元に引き寄せたら、できることって山のようにあると思う。
新しい本が出ます。
提案されている方法はシンプルだけれど、その反対側の車輪には「考え方」が一緒に回ってくれるはずです。
いい方法とそれを支える考え方というか、あり方というか。そんなことをあれこれ考えながら書きました。
10年前に書いた処女作を大幅に増補改訂したものです。読み応え、あると思います。
自分で言うのもなんだけど、いい本になったと思います。
職場の皆さんで読書会をして、やれそうなところから、ちょっとずつやってみる。そんなふうに読まれると嬉しいです。
この本はマクロに学校を見る本としたら、以下の本はミクロに実践を見る本に見えますが、
インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)
- 作者: 青山新吾,岩瀬直樹
- 出版社/メーカー: 学事出版
- 発売日: 2019/01/17
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ぼくにとっては、両方同じなんです。アマゾンの学級運営部門で1ヶ月1位をキープしていて、こんなマニアックな本を、とありがたいかぎり。
日野市教育委員会へ
昨日は、日野市教育委員会で研修。
「ゆるやかな協同に支えられた個の学び」に向けて、市をあげてチャレンジをスタートしています。
かなり踏み込んだ講演をしましたが、受け入れられている実感。変化を実感する2時間となりました。
すでに試行錯誤の中から良質の実践も生まれはじめています。
一律一斉から個に応じた学びへの転換、現場を支え抜く、ゆっくり変わっていくことを応援する、を本気でやろうとしている教育委員会と、試行錯誤を始めている現場。素直に感動しました。
充実した時間。どんな繋がりが生まれるか、これからが楽しみです。一緒に変化の担い手になりたいなあ。
終日校内研修。
今日は、長野県御代田町立御代田南小学校で終日校内研修講師。
昨夏に町教委の研修を担当したことがご縁。
読み聞かせさせていただいたり、飛び込み授業させていただいたり、若手の先生のチャレンジに伴走させていただいたり。
飛び込み授業についてはずっとその価値に疑問を持っていたんだけど、石川晋さんの仕事の話をお聞きして、ぐいっと方針変更。現場に入る機会には、やることにした。
もう少し丁寧にいうと、1時間でつくれる関係性とか教材の魅力とか、学びの場をつくるのってそういうことじゃない、みたいなこだわりがあった。もっと長期な取り組みだろうと。学びを矮小化するのではないかと。
だがしかし、その時間で一緒につくれること、それをみていただく価値、失敗も含めてチャレンジすべきだと思い直す。多賀一郎さん、石川晋さんら諸先輩の覚悟のようなものから、ぼくも逃げてはいけないなあと。
自分の授業を材料に対話することの価値も感じられた。
どんな思考過程で何を考えていたかを検討材料にできるから。
放課後も90分いただいてたっぷり研修。
とてもいい場でした。
研修90分はたっぷり準備して、全部手放して場に立った。
体験と対話メイン。その場で考えながらの時間はヒリヒリしてたのしかった。
公立校の可能性をあらためて感じた1日。
軽井沢風越学園設立予定地とも近い学校なので、今後つながりができるとうれしい。
単発でやれることにはかぎりがあるけれど、継続的な関わりになれば必ず何か生まれる。 職場に確かにある「想い」や「熱」を形にするには、型や技術も必要。
あらためて、学校の組織開発のお手伝いは、ぼくの好きな仕事の一つだと再認識。22年現場にいたからこそ「見える」こともある。その強みを活かして、学校支援の専門性をさらに磨いていきたい。
しばらくは設立準備に忙しくて、学校支援はほぼできないけれど、またいつかがっつりチャレンジしよう。
子どもたちに届きますように。
「学級経営」を学ぶということの難しさ。実践知をどう共有するか②
①はこちら。
さらに小難しく進みます。こんなの読んでくれる人いるのかな・・・・・
(このブログ、振れ幅が大きくてすみません・・・・。自分のポートフォリオとして活用しているのでご容赦を)
そもそも教師の実践知とは何でしょうか。
学校現場では教師の専門性は技術的合理性で語られることが多いのが現状です。
プロフェッショナルの活動を成り立たせているのは、科学の理論や技術を厳密に適用する、道具的な問題解決という考え方 (ショーン2007)
というわけです。
教育界の新しい動きは新しい方法や技術として提案され、教師はそれを現場に適用すれば解決するというわけですね(導管としての教師)。ここにおいて実践知とは目的に対する手段の関係となり、転移可能で脱文脈的なものとして捉えられています。
しかし、佐藤(1997) が指摘するように、教師の仕事は「不確実性」を特徴としています。いつでもどこでも適用できる確実な方法はないことは、現場の教師は日々実感している当たり前のことです。だから日々大変なのですよね。AすればBになるなら、みんな苦労していないはず。
つまり文脈から切り離された理論や教育技術として蓄積されていく現状では、どうしても実践者と乖離が引き起こされてしまいがちです。そもそも教師の実践知とは、普遍的に確立された客観的なものではなく、個人的な文脈とは切り離すことができません。
文脈(学校なら教室の様子)を無視して、いつでもどこでもだれでも通用する方法はないと考えた方がいい。
日々の実践や、他者との関係、社会との関係の中で省察する(振り返る)ことを通して専門知として学ばれていくものだからでです。ショーンはこのような専門職像を「省察的実践者としての教師」と定義しました。
またクランディニンら(2011)は教師の実践知を、「個人的実践知」(personal practical knowledge)という概念で説明しました。
個人的実践知とは
意識的であれ無意識的であれ、信念と意味の本体であり(私的、社会的あるいは伝統的な)経験から生じたものであり、その人の実践において表現されるもの
であり、それは
イメージ、実践的原理、個人的哲学、隠喩、ナラティブ的統一性、リズム、そしてサイクル
についての言葉として表現されます。なんだかよくわかりませんね・・・
つまり李(2004) の説明を借りるなら、教師自身の個人的な経験や人生の歴史、その他のことに影響を受けながら、ジレンマやストーリーを生き、その過程での思考や行動が「個人的実践知」として表れているといえます。
この指摘は、学級経営を学ぶ上で、教育技術だけではなくその精錬されていく過程や、その背景にある思想や理念がどのような経験から生じたのか、その生成プロセスを明らかにする上でとても重要です。
ではそのような実践知はどのように記述されるのであろうか。これを考える上で、二宮 が2種類の知の様式ついて、野口の 「ナラティヴ・モード/セオリー・モード」を使って説明しています。この2つのモードの違いについて二宮は以下の2つの例文を挙げています。
ナラティヴ ・モード: 鈴木さんは、毎日、部活の早朝ジョギングに参加したため、マラソン大会で優勝した。
セオリー・モード : 毎日ジョギングをすれば、運動能力が向上する。
実践の場においてはナラティブモードで実践知が語られることが多いのにも関わらず、実践を対象とする研究ではセオリーモードの〈知〉の方が尊重されている現状です 。ここが問題です。
つまり、二宮が指摘するように、
これまでの実践研究の多くでは、研究方法としてセオリーモードの〈知〉を用いてきたため、研究対象として個人の経験を扱っていても、研究プロセスのなかで、その個人の経験にまつわる固有の意味は削ぎ落とさざるを得なかった
のです。
しかし桐田が指摘するように実践知は、
自然科学の法則のようにいつでもどこでも誰でも論理的に実証できる(=知覚的現実と一致する)ユニバーサルな『知』として存在しているのではなく、個々の具体的な他者・文化・制度とのかかわりのなかでその都度構築されていく、社会的に構成されたローカルな(=文脈依存的な)知であると捉えることができ
、実践研究において個人的実践知を明らかにするためには、セオリーモードの〈知〉だけではなく、ナラティブモードでしか表し得ない〈知〉がありそうです。
では、そのような暗黙知的な知識の文脈を解明していくにはどうすればよいのでしょうか。
それを考えていく上で,改めてショーンが描いた従来の「技術的合理性」(technical rationality)に基づいた「技術的熟達者」(technical expert)としての教師から、状況と対話し、行為の中で省察をする「省察的実践者」(reflective practitioner)という専門家の捉え直しを見ていきましょう。
これまで教師の専門性は「技術的合理性」で語られることが多かった野が現状です。いや今もなおそうですね。「プロフェッショナルの活動を成り立たせているのは、科学の理論や技術を厳密に適用する,道具的な問題解決という考え方」 です。しかし「複雑性、不確実性、不安定性、独自性、価値観の衝突」 がある現実世界では、技術的合理性に基づいた技術的熟達者では対応できないとショーンは指摘しています。
専門的知識を厳密に定義づけようとすると、実践者が実践の中核にあると見なした諸現象は排除されてしまう 。
とはいえ、目の前の固有の状況ばかりを優先しようとすれば、理論にそむくことになってしまいます。厳密性か適切性(rigor or relevance)をめぐるジレンマ に陥るのです。
そこでショーンは、実践の中の知の生成を重視する「省察的実践者」という専門職像に転換しようと提起しています。実践者の知は行為の外にあるのではなく、行為や行為の中の知につ いて 、行為の中で省察したり(reflection-in-action)、行為の後に省察したり(reflection-on-action)する中で生成し続けるのです。
ここで確認しておきたいのは技術的熟達と省察的実践は対立概念ではないということです。
実践の認識論を発展させることにより、問題の解決は、省察的な探究というより広い文脈の中でおこなわれるようになり、行為の中の省察はそれ自体として厳密なものになり、実践の<わざ>は、不確実さと独自性という点において、科学者的な研究技法と結びつくようになる
とショーンが指摘するように両方大事なのです。
さて、ここまで書いてきたことをまとめると、省察を通して得られた専門知(実践知)を記述するためには、
①その省察を生み出した教師自身の個性的な信念と、
②その信念が培われた個別具体の経験、
③そしてその経験を取り巻く状況や文脈を解明する必要がある
とまとめることができそうです。
この解明にとって、セオリーモードの知(技術的問題解決を促す理論知)は本来脱文脈的であるため扱い得ないが、ナラティブモードの知(省察的実践を促す専門知)は文脈の明示化によって、上記①~③を扱うことができそうです。つまり、教師が教室内での教育実践と教室外での体験をナラティブモードで記述し、いかに自身のコンピテンスにしてきたかを考察することで、学級経営における個人的実践知、その生成プロセスの一端を明らかにし、共有できるのではないかと思うわけです。
キモは「ナラティブ」です。
そのアプローチを援用してアウトプットした書籍が以下です。
せんせいのつくり方 “これでいいのかな"と考えはじめた“わたし"へ
- 作者: 岩瀬直樹,寺中祥吾,プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)
- 出版社/メーカー: 旬報社
- 発売日: 2014/09/25
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自分でも好きな本です。
では、ナラティブを探究するとはどういうことか?
ナラティブで実践を記述するとはどういうことか?
ここでクランディニンの「ナラティブ探究」という研究方法にいきつくわけです。
いつかに続く。
参考・引用文献
・ドナルド・A・ショーン,『省察的実践とは何か』,鳳書房,2007ドナルド・A・ショーン,『省察的実践とは何か』,鳳書房,2007。
- 作者: ドナルド・A.ショーン,Donald A. Sch¨on,柳沢昌一,三輪建二
- 出版社/メーカー: 鳳書房
- 発売日: 2007/11/15
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・D.ジーン・クランディニン他,『子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ』,明石書店,2011,21頁。
子どもと教師が紡ぐ多様なアイデンティティ―カナダの小学生が語るナラティブの世界―
- 作者: D ジーンクランディニン,ジャニスヒューバー,アン・マリーオア,マリリンヒューバー,マーニピアス,ショーンマーフィー,パムスティーブス,田中昌弥
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2011/04/15
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↑必読中の必読。
・李暁博「日本語教師の専門知についてのナラティブ的理解」『阪大日本語研究』16,83-113、2004。
・二宮祐子「教育実践へのナラティブ・アプローチ:クランディニンらの『ナラティブ探求』を手がかりとして」『学校教育学研究論集』東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科、第22 号,2010,38頁−39頁。
・野口裕二「ナラティヴ・アプローチの展開」野口裕二編『ナラティヴ・アプローチ』勁草書房,2009.5-8頁。
・野口裕二『物語としてのケア─ナラティヴ・アプローチ の世界へ』医学書院,2002.27-31頁
・桐田敬介「高学年造形遊びにおける授業者の専門知に関するナラティブ的探求」上智大学総合人間科学研究科教育学専攻 博士前期課程学位論文,2011,10-11頁。
・佐藤学,『教師というアポリア』,世織書房,1997,94頁。
子どもで居続けること。
先生であることの専門性。
それは「ワクワクする学び手」であり続けること。
探究者のモデルであること。
いや違うな。結果として、周りにいる人が感染しちゃうような探究者でありつづけること。
きみはいつおとなになったんだろう。
きみはいまおとなで、
子どもじゃない。
子どもじゃないけれども、
きみだって、
もとは一人のこどもだったのだ。
子どものころのことを、
きみはよくおぼえている。
水溜まり。
川の光り。
カゲロウの道。
なわとび。
老いたサクランボの木。
学校の白いチョーク。
はじめて乗った自転車。
はじめての海。
きみはみんなおぼえている。
しかし、そのとき汗つぶをとばして走っていた子どものきみが、
いったいいつおとなになったのか、
きみはどうしてもうまくおもいだせない。
世界への驚きを忘れてしまった瞬間に、子どもたちとの協同探究者でいられないのだろうな。「おとな」にならず、「こども」で居続けること。
それなくしてファシリテーションなんて、ちゃんちゃらおかしいよね。
あ、ちなみにぼくは今、ボルダリングに夢中です。
自分のからだっておもしろい。
仕事の面では大人になるの大事だけどね。
ダブルバインド
教室では、ルールを守ったり、先生の指示を素直に聞いたりといった「受け身」の要求と同時に、創造性を発揮してアクティブに学ばなければならないという相反した要求が同居していて、子どもたちにとってダブルバインド のような状態になっていることがよくある。
主体性を発揮して!といいながら、言うことを聞いて動くことを要求したり。
怒らないから言ってごらんといいながら怒ったり…
ダブルバインドとは2つの矛盾するメッセージ(直接的なメッセージとメタ・メッセージ)の状況におかれてしまうこと。
この概念に触れるたっびに「ああ、自分にもよくあるなあ・・」
と情けない気持ちになる。
自身の日々のリフレクションに残っていないか探してみたら、5年以上前だけれどどんぴしゃなのがあった。
メモ書き程度のリフレクションだけど。
同じようなリフレクションが何回も。何度も何度もことばにして、何度も痛みを感じて、それでもなかなか超えられなかったんだよな。今も超えたか、と言われると道半ばだ。我が子にやっちゃうものな・・
教師のコントロール欲求は根深い。
(年齢、時期、エピソードの詳細は、本筋が変わらない程度に改変しています)
* * *
今日の朝のサークル。
昨日教室で暴れて教室から飛び出していったAさんが
「私が今日はファシリテーターやる」と立候補して司会進行。
そこで出てきた課題をみんなの意見を拾いながら、いい感じでファシリテートしていた。
1時間目が始まる時間が来てしまい、
「じゃあ、続きは明日やろう」と声をかけ、1時間目の算数を始めようとしたら、
Aさんは怒った。
「あと少し時間があったら決められたのに!」
ここでつい感情的に反応してしまう。
「でも授業時間始まっているでしょう。朝のサークルはそういうルールだったよね。」
「あと少しで決まるもん!続きやる!」
「やるなら一人でやりなさい」
Aさんは椅子をバーンと蹴った。
結局算数に参加せず。
ぼくも「わがままだなあ」と放っておいた。
今これを書いていて、感情が落ち着いて改めて見直してみると、本当に相変わらずだな。情けない限り。
Aの中で何が起きていたのか、何を感じていたのか、ではなくて、自分がやりたいことで進めてしまう。
逃げ道のない選択の余地のない選択肢を示して追い込む。
このアプローチをなんとかしなくちゃいけないのに、つい出てしまう。超えられない。
「こう動いてほしい」
が事前にあり。
「そうできるはずなのにしていない!」とイライラして、
「じゃあもういいよ」
的な言動で動きを誘発させようとする。
思えば新任時代からそのクセがある。
係活動で似たようなことがあった。
あることで注意し、後に子どもたちが「ごめんなさい!」と謝りに来たのを「いいぞいいぞ」と喜び勇んで学級通信に書いたりしていた。その通信はいまでも残っていて、見直して見たらかなり勇ましく「子どもが成長したエピソード」として描いていた…
話し合いの時もつい言ってしまうときがある。
「もっと意見言ってもいいんじゃない?」
「もっとしんけんでもいいんじゃない?」
それらはたいてい自分が環境設定をしくじっているのに、
参加者のせいにしているのだ。
大人の場ではありえないのに、子どもにやってしまう残念さと横暴さ。
最近の授業での「イライラ」もそれに起因する。
欲張って「ここまでいける」を設定し、それにいかないとイライラする。
子どもの側からそこで起きてることを見直してみよう。体験してみよう。その場で何が起きて何を感じているのか。
ぼくがしたいことではなく、子どもたちはどうしたいと思っているのか。
ぼくが不安定だから、子どもたちは、仲良しに固まっていくのだ。不安だから。
せっかくのチャレンジの場面だったのになあ…
丁寧に丁寧に。
自分のコントロール欲求をもう一度眺めてみよう。