いわせんの仕事部屋

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幼小のつながりをどう考えるか。

幼小のつながり(段差)がずっと気になっている。

iwasen.hatenablog.com

 

年初めにも書いたけれど、「小1プロブレムとはなんだろう?
その内実は、小学校が、自分たちの文化に疑いを持たず、教員の「教えやすさ」を優先させて、「学校のお作法」を教えることの優先順位を上げてしまっているからではないか?」と考えている。

この段差は大人が作った段差で、子供の育ちの段差ではない。

ある日を境に、学びの場の文化がグッと変わってしまうことが問題なのだ。某自治体の残念なスタートカリキュラムを見るたびに悲しくなる。

グーピタピンとかお口にチャック等々の規律訓練ってなんなんだと批判的に捉え直したい。

 

この問題は、なにもぼくだけが感じていることではなく、新しい学習指導要領にもあらわれている。

 

小学校学習指導要領 第1章総則
第3 教育課程の役割と編成等  4 学校段階間の接続
 ⑴幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を踏まえた指導を工夫することにより、幼稚園教育要領に基づく幼児期の教育を通して育まれた資質・能力を踏まえて教育活動を実施し、児童が主体的に自己を発揮しながら学びに向かうことが可能になるようにすること。また低学年における教育全体において、例えば生活科において育成する自立し生活を豊かにしていくための資質・能力が、他教科等の学習においても生かされるようにするなど、教科間の関連を積極的に図り、幼児期の教育及び中学年以降の教育との円滑な接続が図られるように工夫すること。特に、小学校入学当初においては、各教科等における学習に円滑に接続されるよう、生活科を中心に、合科的・関連的な指導や、弾力的な時間割の設定など、指導の工夫や指導計画の作成を行うこと。

 上記の「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」とは、以下。

 

1. 健康な心と体
2. 自立心
3. 協同性
4. 道徳性・規範意識の芽生え
5. 社会生活との関わり
6. 思考力の芽生え
7. 自然との関わり・生命尊重
8. 数量・図形、文字等への関心・感覚
9. 言葉による伝え合い
10. 豊かな感性と表現

小学校特に低学年では、ゼロからのスタート、はっきり言えば赤ちゃん扱いのスタートをやめて、幼児期で身につけたこと・育まれたことを大切にしながら、その力が生かされるカリキュラムを作らなくてはならない。

 

新幼稚園教育要領のポイントにも「小学校教育においては,生活科を中心としたスタートカリキュラムを学習指導要領に明確に位置付け,その中で,合科的・関連的な指導や短時間での学習などを含む授業時間や指導の工夫,環境構成等の工夫も行いながら,幼児期に総合的に育まれた資質・能力や,子供たちの成長を,各教科等の特質に応じた学びにつなげていくことが求められる。」と書かれている。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/044/001/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2017/08/28/1394385_003.pdf


幼児教育が小学校にあわせて準備教育をするのではなく、小学校のカリキュラムこそ、良質の幼児教育から学び、一からつくりかえる必要があるのではないか

これは小学校のカリキュラムを問い直す大きなチャンスだ。先に引用した、指導要領に書かれている「生活科を中心とした合科的・関連的な指導」は、各教科等にも同様に明記されている。繰り返すけれど、これはチャンス。

 

幼児教育から学び、低学年教育のリデザインをしたい。「遊びの価値」から、今の学校教育を見直すと何が生まれるだろうか。環境構成やドキュメンテーションから学べることはなんだろう。読むこと・書くことへゆるやかにつないでいくとはどのようなことだろう。

低学年教育の専門性(幼児期からのつながりと、3年生以降への発展を見通す専門性)も検討したい。

幼・小で関心がある人が集まって一緒に作ったらどんなのができるだろう。

幼稚園・保育園が8歳(小2)まで続くとしたら、どんなデザインになるだろうか?

 

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こんな気持ちで学校行きたいよね。

日々の振り返りって?(メモ)。


【メモ】日々の振り返り。
①継続できるか
②エピソードまで記述できるか。
③起きたことだけではなく自分の感情にも向き合えるか。
④そこからの気づきの質をあげられるか。
⑤「自分」に焦点があてられるか。
⑥視点を変えられるか。視野を広げられるか。視座を上げられるか。

 

●「いまここ」で振り返ることが重要。
先延ばしにした振り返りは、あっという間に経験が流れていってしまう。無意識のうちにゲシュタルトがその経験を流してしまい気づきが生まれにくい。
感情の機微が薄れてしまう。

 

●他者のせいにしている振り返りは学びが生まれにくい。結構ありがち。仕組みのせい、わかってくれないせい、組織のせい、あの人のせい。

 

●エピソードのない雑ぱくな振り返りは、記録としての価値が半減する。のちに読み返しての「メタリフレクション」がおきにくい。

 

●継続しない振り返りは成長につながらない。
たまの振り返りは、ただのイベント。

 

●気づきの質を上げるには、「他者の目」が必要。
自身に見えていないところにフォーカスするための「他者の目」。これは必ずしも人でなくともよい。視点を変える、ということ。

 

●書かされる振り返りは、鉛筆のムダ(パソコンの電源のムダ)。

 

●グチは振り返りではない。

 

●自己肯定ばかりを続けていては、同じところをグルグル回り続ける。

 

●フィードバックを自分の成長につなげられる者が、やがて自分を自分で育てられるようになる。自分の中に他者が生まれる。

 

●振り返りは自身との真摯な対話であり、「自分がどうなりたいか」の結晶。

優しくて楽しい先生ならそれでいいな。

ぼくの住んでいるところは明日始業式。

どんなスタートになるか、娘もドキドキしていることだろう。

 

 


2年前の始業式前の会話。

 

「いよいよ3年生だね−」
「うん、そうだねー」
「どんな感じ?」
「ふつー」
「どの先生になってほしいっていうのはあるの?」
「えー、先生の名前とか全然知らないからなあー」
「そうなんだあ。じゃあどんな先生がいいの?」
「ああ、優しくて楽しかったらそれでいいな」
「2年生の時の○○先生は?」
「ああ、優しかったよ。怒るとこわいけど」
「怒ると楽しい人なんていないでしょ」
「たしかにぃー(笑)。とにかくやさしくて楽しい先生がいいよ。だって楽しく毎日いきたくなるもん」
「まあ、そりゃそうだよねえ。」

 

黄金の3日間とか、はじめが肝心とか、ぼくらは先生目線でいろいろ語るけど、

 

子どもにとっては極めてシンプル。

先生がいつも笑顔でいること。

優しくて、自分(たち)を大切にしてくれること。

毎日が楽しいこと。
毎日いきたくなること。
自分と自分たちが、他者から大切にケアされる体験が積み重ねられること。

 

子どもはよくよく大人の本気がどこにあるかを見極めている。
子どもの目から、子どもの体験から学校を見直したい。

 

はじめが肝心とばかりに、統率しようとしたり、しめたりするのは、本当に本当に勘弁してもらいたい。

「鍛える」とか、「まずはしつけ!」とか言わないでもらいたい。

人と人との出会いでなにが大事かに戻りたいよなあ。

備忘録:今週読んだ本

今週読んだ本、リストのみ。

 

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

★★★★★

必読。吉田新一郎にはずれなし、を更新。再読に入ってます。

 

カリキュラム開発で進める学校改革 (21世紀型授業づくり)

カリキュラム開発で進める学校改革 (21世紀型授業づくり)

 

★★★★★

元同僚、今盟友の渡辺貴裕さんに紹介してもらった本。古い本と侮るなかれ。なかなか重厚な本だった。これからのカリキュラム作りの大きなヒントになる本。

 

 

子どもと親が行きたくなる園 (あんしん子育てすこやか保育ライブラリー 3)

子どもと親が行きたくなる園 (あんしん子育てすこやか保育ライブラリー 3)

  • 作者: 寺田信太郎,深野静子,塩川寿平,塩川寿一,落合秀子,山口学世,佐々木正美
  • 出版社/メーカー: すばる舎
  • 発売日: 2010/10/14
  • メディア: 単行本
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 ★★★★

読みやすい。とてもよかった。幼児教育進んでるなあ。

 

 

ふってもはれても: 川和保育園の日々と「113のつぶやき」

ふってもはれても: 川和保育園の日々と「113のつぶやき」

 

 ★★★★★

川和保育園の園庭、魅力的。自分で考え自分で選んで自分で遊ぶ。

自分の安全は自分で守る。

ぜひ一度参観に行こう。

 

学習設計マニュアル: 「おとな」になるためのインストラクショナルデザイン

学習設計マニュアル: 「おとな」になるためのインストラクショナルデザイン

  • 作者: 鈴木克明,美馬のゆり,竹岡篤永,室田真男,渡辺雄貴,市川尚,冨永敦子,高橋暁子,根本淳子
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2018/03/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 ★★★★

入門本に最適。とても読みやすいし、大学生のテクストにいいんじゃないかな。

これの小学生版ってどんな感じになるだろう。

 

小学校学習指導要領解説 総則編 ―平成29年7月

小学校学習指導要領解説 総則編 ―平成29年7月

 

 これだけの厚さだとPDFより紙の方が読みやすい。破格。

それにしてもすべてにいえるけど、分量もっともっと減らしてくれんかね。誰も読まなくなるよ?

 

保育者と子どものいい関係-保育実践の教育学-

保育者と子どものいい関係-保育実践の教育学-

 

 読み始めたところ。

 

 

今日届いたのは、この3さつ。

セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた『知の理論』

セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた『知の理論』

  • 作者: Sue Bastian,Julian Kitching,Ric Sims,後藤健夫,大山智子
  • 出版社/メーカー: ピアソンジャパン
  • 発売日: 2016/01/01
  • メディア: 単行本
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クリエイティブな校長になろう――新学習指導要領を実現する校長のマネジメント

クリエイティブな校長になろう――新学習指導要領を実現する校長のマネジメント

 
アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 (学びと成長の講話シリーズ)

アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 (学びと成長の講話シリーズ)

 

 

 

 

校庭にSの字を描こう。

Sけんって遊びを知っていますか?

昔からある群れ遊び。最近、教職員の研修で「この遊び知っていますか?」とお聞きしても知っている人は5分の1ぐらい。子供の場から消えてきている遊びかもしれません。

それはこんな遊び。

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ルールはこうです。

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文字面だけではどんな遊びかわかりにくいですね・・・

youtubeとかに動画ないかなあ。あ、幼児のがあった。

なかなかいい感じ。


エルマーSけん

はげしくていい。

 

何年生を担任しても、1週目にぼくは必ずこの「Sケン」のやり方を伝えていました。

最初は恐る恐るやり始めます。

思いっきり押したり、ひっぱったり、つっこんだり、倒したり、そういう体験が子どもたちの日常から消えて久しい。びっくりするわけです。

「痛い!!」

膝がすりむけたりもします。引っかき傷ができたりも。

「イワセン!思いっきり倒されたんだけど!」

「まあ、そうだろうねえ、そういう遊びだから」

「めっちゃ痛い!」

「まあ、そうだろうねえ、そういう遊びだから」

まあこんな会話が繰り広げられます。

 

でも1週間もすればもう夢中。

1時間でも2時間でも平気で続けるようになります。時間を忘れて没頭する体験。(もちろん「見学」という参加もOKです)。

なんでこんなに痛いのに夢中になれるんでしょうか。

 

宝を取るために突っ込んでいくには、倒されるというリスクがある。リスクがあるから楽しい。燃える。

全力を尽くさないと宝を取れない。守れない。つまり全力を尽くせる。

どんな風に参加するかは自己選択的である(守り手をするもOK。攻め手をするもOK。一人で攻めるもOK。作戦を練って協同するのもOK)。

勝ち負けの結果よりもプロセスが楽しい。

ルールは楽しく遊ぶためにどんどん改変していっていい。(「遊びたい!」という思いが、結果として自制を学ぶ機会ともなります。「痛いからやめた!」とか「ズルしたからやめた!」とかいって抜けてしまうと、結局自分がつまらなくなるのです)

なんといっても能動的。アクティブです。

 

怪我をするのが心配という声を聞きます。

小さな怪我はたくさんします(断言)。

どこまでが安全でどこまでが危険かは、体験的に学ぶほかない側面があります。

もちろん「グーで殴らない」「後ろからの不意打ちは、首がガクッとなるのでしない」等々最低限のルールは必要ですが、

「爪を立てない」「服は引っ張らない」等々はやりながら自分たちでルールを作っていけばいい、そう思うんです。自分たちで自分たちの安全を守るれるようになること。これはすごく大事なこと。

(もちろん、保護者会等で、なぜこの群れ遊びをやるのか。その魅力とリスクは何かも共有しておくといいですよね)

22年間、毎年Sけんをやってきましたが、不思議と大きな怪我はありませんでした。

 

最初の2週間ぐらい付き合えば、あとは校庭にSの字を書いておくだけでOK。

やがて、自分たちでSも書き始めて勝手にやり始めます。

何を隠そう、ぼくは一番ムキになって参加するわけですが(大人気ない=称号)、仕方がないので、ゆるやかに消えていく(参加しなくなる)ようにしていきます。大人の目がない中で遊ぶのすごく大事だと思うから。

放課後、ふと校庭を眺めると、集まった異年齢のメンバーでSけんに興じている姿に、よく出会いました。

小さい子が泣いてしまって、水道に一緒に傷を洗いにいく上級生を見ると、ああなんとも大事な光景だなあと思うんです。

 

ルールもどんどん変わっていきます。

小さい子が入った時は、生き返る回数が多かったり。そうやって「どうすればみんなが楽しいか」と調整していくのです。

ルールを作る体験は遊びの中だからこそ真剣になれます。いいルールにしないと自分が楽しくないから。

 

そもそも学校が子供の遊びを担う必要があるのか、という議論はあると思います。

学校が扱った時点でそれはもはや「遊び」とは言えないのではないかという指摘も最もです。

以前、石川晋さんがぼくの授業を見にきてくださった時、休み時間のSけんを2人で眺めながらそんな話をしました。

suponjinokokoro.blog112.fc2.com

結論から言えば、子どもの遊びの場と価値を、学校で十分に保証する覚悟が必要だと考えています。

今話題の、非認知能力。これを直接的に「教えよう!」というのはアプローチとしてやはり筋が悪いわけで、そのための芳醇な原体験は「遊び」の中にあります。それを保証せずして、なにが非認知能力だ、と思います。

では学校を場にした遊びってなんでしょう?

ピーター・グレイは遊びの特徴を5つに要約しています。

1、遊びは、自己選択的で、自主的である

2、遊びは、結果よりもその過程が大事にされる活動である。

3、遊びの形や規則は、物理的に制約を受けるのではなく、参加者のアイディアとして生まれ出るものである。

4、遊びは、想像的で、文字通りにするのではなく、「本当の」ないし「真面目な」生活とはいくらか意識的に解放されたところで行われるものである。

5、遊びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われるものである 

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる

 

 「遊びごっこ」ではない、5つの特徴を大切にした本当の遊び、学校で可能なんでしょうか?

可能だと、ぼくは思います。

幼稚園や保育園で可能なのに、なぜ学校だけ無理なのでしょうか。

そもそも、学びって遊びより上、なんでしょうか?「遊び」と「学び」ってどう関係しているんでしょう?

先ほどの5つの特徴の「遊び」を「学び」に置き換えてみるとこんな感じ。 

 

1、学びは、自己選択的で、自主的である

2、学びは、結果よりもその過程が大事にされる活動である。

3、学びの形や規則は、物理的に制約を受けるのではなく、参加者のアイディアとして生まれ出るものである。

4、学びは、想像的で、文字通りにするのではなく、「本当の」ないし「真面目な」生活とはいくらか意識的に解放されたところで行われるものである。

5、学びは、能動的で、注意を怠らず、しかもストレスのない状態で行われるものである 

 

どんな風に読めるでしょうか? 

学びもこうありたいな。

 

このような群れ遊びを伝承していくのって、大人の責任だなあと思います。そう思うと危険な遊びたくさんやってきたなあ・・・

新学期こそ群れ遊び。

うっかり身体的な距離も縮まります。

 

 

ちなみに、最初にあげたSケンのルールは拙著に載っています。(安全面で心配なことがあったら参照してください。子どもと作ってきたルールが載っています)

熱くなっている子どもの写真もいい感じです。

クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ

クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ

 

 

大人も夢中になりますよ!(腰痛に注意。)

本当は教員養成課程で、「遊ぶ原体験を積み直す」ことって大事かもな。

さあ、校庭にSを書いて、最初は一緒に楽しんじゃいましょう。

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東京学芸大学教職大学院を退職します。

私事ながら3月31日をもちまして、東京学芸大学教職大学院を退職します。

学部時代の4年間、埼玉県の長期研修生として1年間、そして教職大学院・准教授として3年間。計8年間、東京学芸大学でお世話になりました。3度目の卒業です。

4月からは、一般社団法人軽井沢風越学園設立準備財団・副理事長として、2020年の開校を目指して全力を尽くします。

 

小学校現場から大学に来たのは2015年。

教師教育者の初任者としてのスタートでした。

iwasen.hatenablog.com

 

教師教育者としての専門性とは何か?を突きつけられた緊張感は、今もリアルに覚えていますし,今なお自分の大きなテーマでもあります。本学の先輩方、同僚の方々の支えなくてはこの3年間はありませんでした。

前専攻代表・成田喜一郎先生、現専攻代表・伊藤良子先生始め、同僚の先生方と、素晴らしい職場に改めて感謝しております。

 

最初の頃の研究室。

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この後院生の方々と「研究室リフォームプロジェクト」に取り組んだのでした。

 

最近はこんな感じでした。

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部室みたいな日も。院生と対話する時間は何より楽しかった。

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3年間、授業は主に「学校づくりと学級経営」、「カリキュラムデザイン・授業研究演習」、「学校教育ファシリテーターの養成」を担当してきました。

学級経営は重要といわれながらあまりにも学際的であるため学問領域として成立しておらず、大学でも授業があまりない状態です。学芸大でその授業を担当することで、教員養成プログラムそのものを考える機会にもなりました。最近は授業がおもしろくてたまらない!という感じです(幸い来年度も非常勤で、選択科目を担当させていただきます。)。教師教育の現場に3年間どっぷりつかれたこと、そこで体験したこと、気づいたこと、学んだことは本当に大きい。

 

実務家教員とはどのような役割なのか、教師教育者としてどのような専門性を磨いていくべきなのか」という問いの探究はまだ道半ばであり、その探究がおもしろくなってきている今、突き詰められないまま退職することには大きな心残りもあります。

一旦教師教育の現場は離れますが、これからも教師教育には積極的に関わり,研究を続けていく所存です。今研究しているナラティブ探究を続けるとともに、セルフスタディを学ぶ必要を感じています。

 

学卒の院生、現職の院生の方々との出会いと学びは、日本の教育の未来の可能性を思いっきり感じる時間でもありました。教員養成や教師教育が変われば日本の教育もグッと動くのではないか、そんな確信を持つことができました。これまでの教育の前提の問い直しが起きた方々の実践や学びは本当に力強い。だからこそ大学や教職大学院はもっともっと変わっていかなくてはならない、そう思います。その点で、3年間の同僚との試行錯誤、なにより「スタンプラリーのカリキュラム」から「統合型カリキュラム」への変革をもっともっと進めていく必要があります。

 

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        ↑研究室の大事なメンバー

 

小学校現場を離れたことにより、全国各地の学校の校内研究の支援に関わらせていただいたのも、ぼくにとって貴重な学びの場でした。現場にいてはできないことでした。

(来年度も継続して関わらせていただく、小金井市立小金井第三小学校、徳島市立入田小学校では、秋に研究発表があります。ぜひお越しくださいね。)

学校を外から支援するとはどういうことか、学校組織が変化していくとはどういうことか、リアルな場面でその学校の先生方と一緒に考える機会に恵まれました。

 

充実した3年間でした。 院生の皆さんともっと学びたい、教師教育をもっと前に進めたい、そんな思いは今も強くあります。

「せっかく大学教員になったのに、なぜ辞めるんだ?」とお叱りを受けたことも少なからず…

本当に悩みに悩みました。

特に現学卒1年生の皆さんには,修了まで伴走できず申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にごめんなさい。違う形でみなさんの学びに関わりたいと、本気で思っています。 

 

日本の学校教育を前に進めるために。

一人ひとりが「自由だ、幸せだ」という実感を持つ社会のために、どんな学校や教育がありえるのか、を考え、実現していくために。

軽井沢風越学園設立を目指して全力で動きます。このチャレンジは,自分のリソースをすべて注がないと成し遂げられない大きなものです。

本城慎之介という信頼し尊敬するパートナーに出会ったからこそ決断しました。

これからたくさん迷い悩むはず。

失敗もたくさんするでしょう。

それってすごく大事だと思っています。

丁寧にそこに向き合っていきたい。

 

 

信頼し尊敬するもうひとりのパートナー、苫野一徳が公教育の原理を示してくれています。

次は実装です。このフェーズが一番大事だと確信しています。

ぼくだからこそできること、が次のチャレンジにもあるはず。

2020年以降、具体的な現場、具体的な情景、具体的な子どもの姿、具体的なぼくたちの姿で、この選択が間違っていなかったことを示せたら,と思っています。

「港」のような場をつくります。

不安がないと言えばウソになりますが、それを上回るワクワクがあります。

人はたいていワクワクする方に進めば間違いない(当社比)。

 

 

あとは迷いつつ,悩みつつ、進むだけです。

 

 

先述しましたが、4月からは一般社団法人軽井沢風越学園設立準備財団・副理事長として、学校づくりに専念します

2020年に向けてカリキュラムづくりや、学校組織のデザイン等に取りかかります。

力を貸してください。一緒に考えたいです。

風越コラボ等を通じて、多くの人と一緒に一人ひとりが「自由だ、幸せだ」という実感を持つ社会のために、どんな学校や教育がありえるのか、を一緒に考えていきたいです。

そして、それぞれの場に合う形での実装を共に目指したい。

設立に向けて、創設メンバーと共に丁寧に丁寧に進んでいきます。

とてもとても楽しみです。

 

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軽井沢風越学園設立準備財団 – 幼稚園・小学校・中学校、2020年4月の開校を目指しています

 

研究室もすっかりきれいになりました。

(手伝ってくれた方々ありがとうございました!)

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この3年間、ぼくと関わってくださったすべての方々にこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

そして今後ともよろしくお願いいたします。

 

今はとてもスッキリした気持ちです。

そしてワクワクしています。

東京学芸大学教職大学院、素晴らしい場でした。幸せな3年間でした。

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では、ちょっくらいってきます!

 

平成30年3月29日(木)

岩瀬直樹 

 

新学期のスタートは「教室リフォームプロジェクト」から。

今日は、仕事の合間に、自宅で自分の仕事コーナーづくりに励んでいました。

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仕事コーナー完成

いい感じにできたな(自画自賛)。

自分でリフォームすると、自分の場所という愛着がわいてくると共に、

自分の居心地は自分でよくしていけるという当たり前の感覚を味わえるし、なんといってもうれしい。自慢したくなって写真あげちゃいました・・・

  

きっと教室も同じはず。

自分たちの教室は自分たちでよくしていける。

自分にとって居心地のよい空間を自分でデザインできる。

それは自分も嬉しいし、他者も嬉しい。

最初っから成功しなくっていい。ずっと試行錯誤し続けることが大事。

自分の周りへの環境、ひいては社会への「当事者性」と、自分の行動による「改善可能性」。これを学校で体験的に学ぶことの優先順位は高いはず。

 

だからこそ新学期は、教室リフォームプロジェクトからスタートしたい。

クラスがワクワク楽しくなる!  子どもとつくる教室リフォーム

クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム

 

なにー!このタイミングで品切れ!(涙)。

尊敬し信頼する編集者が、4人に丁寧に伴走してくれて出来上がった本。

手前味噌ですが。とってもいい本。

 

教室環境づくりを「やってあげる」ことは、実は全然いいことじゃない。

おとなの満足でつくるものではない。

「よい教室」をつくってあげること、で短期的にはよく見えるかもしれないけれど、長期的に何が結果として学ばれているのかは考えたいところ。

せめて一緒に考える「余白」を残しておくことは大事にしたい。

iwasen.hatenablog.com

 

 あまり学校が得意じゃなかった子が、

「棚を目隠しする布をつくるね」といって、

毎日休み時間のたびにせっせと縫い物をしていたことがあった。

今思えば、教室の中に自分で居場所作りをしていたんだなあ、きっと。

 

教室の破れかけていた古いカーテンがいつの間にか直っていたこともあった。

季節が変わるたびに,季節の飾りが壁を賑やかに。

参観日の前、まるで家庭訪問の前の家の掃除のように念入りに掃除する姿。昔の我が家を思い出す。

いつのまにか家でお気に入りのぬいぐるみが置かれていて、ケンカして泣いているときそのぬいぐるみをぎゅっとだっこしている子がいたり。

 

自分たちで創った「きょうしつ」で様々なエピソードが日々生まれて、

じわじわと子どもたちの「居場所」へと変化する。自分でつくったからこそ、愛着がわいてくる。

 

本にも載せたけれど、ずいぶん前に子どもたちに

「教室リフォームプロジェクト」について聞いたことがある。

 

・のんびりできる。落ち着く。居心地がいい。

・勉強の進め方にあっている。

・リラックスできるとろがあるのがいい。

・集まって相談したり、勉強したりできる。

・自分たちでやるとは考えること。

・ものの配置を相談したのが楽しかった。

・班で座るとおしゃべりするけど、すぐ話し合えていい。

・自分の部屋みたい

・早く帰りたいと思わなくなった。(岩瀬注:放課後、畳コーナーでおしゃべりして帰る人たちがいます・・)

・しあわせになる。

・本があると、自然に読むようになる。

・コピー機がとっても便利。

・勉強で疲れたときもリラックスできるから、逆に集中できる。

・文具コーナーがべんり。自分で自由に使える。

・途中で自分たちのアイデアで変えられる。

・教え合うのに最適。

・自由さが広がる

・自分たちでやるから、大切にしたくなった

・スッキリ片付いた ・友達関係がひろがる

・最初は興奮して畳に集まるけど、そのうちリラックスしたり、本読んだり、勉強に使ったりするようになる

・グループに机を置くので相談しやすいし、勉強しやすくなった。

・チームワークが高まる。

・たくさんの意見をきけるのがよかった。

・勉強しやすい

・インテリア会社がきれいにしたり、大工会社が家具を創ってくれたりして、自分たちの教室になっていった。

・今までは班にするのは給食だけだったけど、今はずっとだからたくさん話せる。

・すごしやすいから行きたくなる

・ストレスがたまらない。

・あばれなくなる

・自分の好きなコーナーがある

・しゃべらない人ともしゃべるようになった

・机を動かして良かったので、学びやすかった。一人にもなれるし。

 

  

日本の教室って無機質で、学びの場からほど遠い感じもするけれど、見方を変えると、それは強み。

フレキシブルに動く机を「自由に空間デザインしやすい」と捉えれば、自由度の高い空間。無機質であるからこそ、変化が見えやすい。

  

繰り返しになるけれど、自分の環境は自分でよくしていける。

自分にとって居心地のよい場を自分でデザインできる。

そしてそれは自分も周りの人も笑顔にする。

これが大げさかも知れないけれど、

「どうすれば幸せになれるのか」を自分の手の中に取り戻す第一歩

まず自分の身近からスタートする。

これが広がっていけばきっと学校、社会、につながっていくのだろうなあとも思います。

 

結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、
「働き方」が変わることから、
世界が変わる可能性もあるのではないか。
この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、
世界が変わる方法はどこか余所ではなく、
じつは一人一人の手元にある。
(『自分の仕事をつくる』 西村佳哲 晶文社 )

 

この実感の原体験こそ、学校で経験したいことだし、感度として持っていたいことだなって思う。

そして、実は、子どもと一緒に創るのは教室だけじゃなくって、学びもそう。

学校におけるすべてがそうなんじゃないかって思う。

 

こんなステキな記事も。ありがたい。

mido1022.hatenablog.com

 

中学校だってできます。

教室リフォームプロジェクト 1/2 - いくぼんの学習ノート

いくぼんさんのブログは,他の実践もおもしろいです。