教室をもしデザインし直すとしたら?
「もし教室をあなたの理想的な環境にデザインし直すとしたらどんな教室にしますか?」
とてもワクワクする質問。
日本の学校建築の多くは、同じ形の教室が廊下に沿って一直線に並んでいる、いわゆる
片廊下型校舎です。そのような教室の形式は、
他に対して閉鎖的であり、この中では1人の教師によってクラスメンバー全員が『一斉進度学習』によって主導されることが学校教育の基調となる(学級王国)。そして、この[教室=クラス集団=一斉進度学習=学級王国]はどの学級、どの学年でも同じように繰り返されるので、建築的にも同じ面積・仕様・デザインの「教室」が単調に繰り返されることによって『学校建築』が成立するのである。
こんな指摘があるように、現在の一般的な教室環境が、教師主導の一斉授業を強化してしまっているとも考えられます。子どもたちを空間で「囲う」ことで教師の教えやすさを優先しているわけです。お互いの教室でなにが行われているのかが見えない閉鎖的な空間は、子どもたちにとっても居心地の悪さにつながりかねません。
もっとオープンにしよう!ということで、全国的には、70年代からオープンプラン・スクールをはじめとした子どもたちの学びやすさに焦点を当てた学校建築は増えました。いわゆるオープン教室です。廊下側の壁がなくて、廊下と一体になっています。教室間がつながっていて、廊下スペースも学習等に活用できます。例えばこんな感じ。
しかし先進的な学習環境も当事者にとって「与えられた環境」になってしまい十分に機能していない所があると聞きます。ぼくの同僚、渡辺さんはこんな風に指摘しています。
その空間に込められた思想を教師たちが活かそうとしなければ、新たな学校建築上の試みは役に立たなかったり、かえって「他と違っていて不便な施設」と認識される可能性がある。実際、教室の横に配置された、子どもが数名中に入ってくつろいだりできることを意図された「アルコーブ」と呼ばれる小さな空間が、教師たちに単なる物置として使われ、子どもが寄りつかなくなってしまっているといった例が、学校建築の「先進校」とされる学校においてさえ見られることもある。設備があっても、教師たちにその空間を活かそうとする構えがなければ、その設備は活かされない。
うーん、納得。オープンスペースの学校を色々見に行ったことがありますが、ただの物置になっていたり、「気が散るので閉じてほしい」という先生の声が聞こえてきたり。オープンになっている部分が日常的に活かされている実践をあまり見ることができません。残念ながら、ハードとしての学校建築を変えたからといって、ただちに子どもたちの学びに変化が起きるわけではありません。大切なのは、空間の意味と価値を踏まえ、実践を変えていこうとする意識や継続的な取り組みです。
「もし教室を理想的な環境にデザインするとしたらどんな教室にしますか?」ここで最初の質問に戻ります。もちろん建築自体を変えられると素敵だけれど、今の環境でも持できることは山ほどあるはず。今の教室の有り様から発想していると、その枠から出て考えることはできません。思い切って「理想的な」デザインを考えてみたいです。この記事では物理的環境にしぼって考えてみます。
デザインしていく上でどんなことが大切でしょうか。思いつくままに書いていってみます。
1,ゾーニング
教室を豊かな学習空間にするには、学習者の学びを誘発する(誘う)ような環境が必要です。教室全体を幾つかのゾーンに区切って、活動ごとに使えるようにします。
例えば、本がたくさんおいてある読書コーナー、グループワークがしやすいワークスペース、一人で集中して学ぶためのコーナー(オープンな学校じゃないならば、廊下に机やテーブルを出してそのコーナーを作って『サイレントコーナー』と名付けてしまいましょう)、集まってミーティングする広場(サークルベンチ等)、文具や道具、資料などをその場で使える作業コーナー、くつろぎスペース等々。アイデアは無限です。それぞれの活動ごとに場所を区切るのです。
日本の教室の多くは、「毎時間その時間に使うものを机やバッグから出す」ことで初めて「学びの空間」になります。ゾーニングでコーナーをつくることで、常に教室が「学びの空間」であり続け、いつでもアクセス可能になります。常に見えているのでその環境が学習者の学びを誘発します。
幼稚園や保育園ではこのように環境構成によって学びや遊びを誘発するようにしているんですよね(場所によりますが・・・)。学校も同じではないかと思うわけです。
2,自己選択・自己決定できる場
単一の環境では、学び方も居心地の良さの感じ方も違う一人ひとりに対応できません。
多様な場をおくことで「自分にとって学びやすい、居心地の良い場」を選べるようになっていることが大切だと思います。ゾーニングはそのための手立ての一つ。
こんな言説に出会うことがあります。
「教室前面は子どもの注意がそがれないように掲示物を最低限に抑えましょう。」
これがユニバーサルデザインか。なるほどなるほど、これで居心地の良い空間になるのか。うんうん。そうかそうか。・・・・・ん?
学校現場でこの言説があっという間に広がっていくなか、ぼくはずっと違和感が残っていました。そもそもこの提案の前提はなんでしょうか?
それは「全員前を向いて先生の話を聞いて学ぶのがデフォルト」ということです。机をアイランド形式(グループの形)にするだけで、もはや上記の手立ては無効化します。いや、「一斉授業が悪い」とかそういうことを言っているのではなく、これまでの一般的な授業形態、教室のあり方に、子どもたちが合わせていくという方向がおかしいなあと思うのです。その「困難」は誰が作り出しているのか?その視点が欠如したユニバーサルデザインは、もしかしたら学校や教室が作り出しているかもしれない「困難」にどうやって付き合わせるかに終始してしまいます。
あわせることへの「困難」を取り除く為の手立てをするのではなく、学習者側から学習環境を考えてみたい。一人ひとり集中できる環境、学びやすい環境は違うはずです。自分に合う場を選べること。いろいろな環境を試してみられること。自分の学びの場を自己選択・自己決定できるようにすること。机がいい人もいれば、床がいい人もいるし、隅っこでひとりしずかに学ぶのがいい人もいるし、わいわいコミュニケーション取りながら学びたい人もいる。開かれた空間がいい人もいるし、閉じられたスペースが落ち着く人もいる。それが自然だと思います。
そのためには、1のゾーニングとともにフリーアドレスという方法もあります。
ちなみに、ぼくは小学校教員時代、算数や学習の個別化の時間等はフリーアドレスでした。もちろん読書もフリーアドレス。自分で選ぶ学習環境、は理想的な環境の一つです。
3,自由に使えるリソース
学びや遊びのリソースに自由にアクセスできるようにしたい。
本や文房具、道具、材料、ICT等々。いちいち大人に許可を得るのではなく、自分の責任で自由に使える(もちろんその使い方、安全管理はしっかり学ぶ機会を作った上で)。必要なものに自由にアクセスできる教室。自己主導で学んでいくときにこの環境は必須です。大人を経由しないと使えないものは不自由でやがて使われなくなってしまう。
これらのものがどのように整理されているか。使いやすく配置されているかのデザインも重要ですね。見てワクワクする配置。
こういう環境のデザインって、学校教育の中にヒントや答えはあんまりなくて、学校外にたくさんのヒントやアイデアがあります。
企業のオフィスや、図書館などの先進的な環境は入るだけでワクワクするところがあります。ワクワク大事。
4,他の空間へのアクセスのしやすさ
教室から他の空間へのアクセスのしやすさ、移動のしやすさも重要です。
すぐに外に出やすい教室は、外遊びを誘発するでしょうし、学習中に必要に応じて外へ飛び出していきやすいでしょう。理科室や技術室、調理室などへのアクセスが容易ならば、学びが他の空間に展開しやすい。1のゾーニングは教室内はもちろん学校全体の設計思想でもあります。
他の学年の子や他の先生、大人に出会いやすい環境は、その中でのコミュニケーションや学び合いを生みやすくなります。その意味では30人で1つの教室を使う、ではないアプローチも考えられます。共有スペースを設定するのも一つの方法です。
ちなみにその共有スペースは、近接の学年(1年生と2年生のように)よりも、例えば1年生と5年生等々、3学年ぐらい離れている学年ごとにすると、上学年はケアの気持ちを発揮しやすいのではないかと思います。
「教室が他の空間とつながっている」というデザインがいいなあ。
5,学習者と教職員(多様な大人)が相談して自分たちで学習環境を変えていける余地
最後だけれど一番大事かもしれないこと。
常に「自分(たち)でよりよく学習環境を変えていく」ことができる余地があること。その意味ではゾーニングも含めて固定的な空間をつくるのではなく、フレキシブルに変えていける環境が最も大事そうです。家具も移動式にすれば、自由に空間を区切ることができます。どのような学習環境がよいかは、事前にすべて設計できるわけではありません。そこに集うメンバーによりますし、そのコミュニティの成熟や関係性の成熟、学びの変化に伴い、環境もどんどん変化が求められていくでしょう。
そのときに自由に試行錯誤できる余地を残しておくこと。
そう思うと、今の無機質な長方形の教室は、自由に机が動かせて、フレキシブルに変えやすい。自分の手元から理想的な環境を試行錯誤できそうですよね!
ないことを嘆くより、手元でできることから考えたいです。
最後に。
日常的に過ごす教室にとって一番大事なことは、すべての子にとって居心地がよいこと。常にそこに戻りたいです。大人の想いだけでつくる空間は、いつのまにか当事者を置いていってしまいがちだということを忘れないようにしたいなあと思います。
学校って子どもにとっていちばんおもしろい場所でありたい。そのための学習環境って?何度も何度も考えたい問いです。
ブックリストのリスト
このブログで一番アクセスが多いのは、本の紹介リスト。
子どもと一緒に読みたい本」はシェアが1万を超えて焦りました…
自分でもすぐに参照できるよう、リストのリストにしました。
→中竹さんと対談させていただきました(紹介するの忘れてた…)
今日読んだ本メモ。
学校教育を考え直すうえでも幼児教育について学ぶのって大事だ。
というわけで今日からこれを読み始めました。
これ、必読ですよ。
第1章の「遊びとはなにか」、第2章「園の環境デザイン」で既に考えるためのヒントがたくさん。
例えば「遊びの特徴」として3つの視点で捉えられています。
1,積極的・肯定的かかわり(物事、世界の事物の肯定等)
2,真剣な対峙
3,子ども同士の共鳴
これって、学びの芽生えと繋がる。
そして探究的な学びにも同じ特徴があるのではないか? 等々。
幼児教育から学校教育を捉え直すこと。
この視点をたくさんの人と共有したい。
幼児教育のオススメの本、教えてください!
今日購入した本はこちら。 寝る前のお供に。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/07/10
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (48件) を見る
太宰治賞の本。読むのが楽しみ。
あ、そういえばミステリー好きなのでついにこれ読みました。
★★★★
今年度の「このミステリーがすごい」の1位ですね。
クローズドサークルの新境地。シンプルに楽しめました。
ノーミソ休めに最近読んだマンガは、
★★★★
めちゃめちゃおもしろい!
★★★★
友人、KAIに借りました。これもおもしろかった−。
★★★★★
これはオススメ。同僚Wさんに薦められて。高校生2人のコミカルな対話劇として楽しめますが、ラスト巻が神刊。今のところ今年ナンバー1。
今日は軽い本ばかりの紹介だったなあ。
それもまたよし。
軽井沢風越学園準備財団のメルマガ最新号でました。
軽井沢風越学園準備財団のメルマガ最新号がでました。
今回は、本城、苫野、岩瀬の「2017年を振り返って」の鼎談があります。
あらためて、とてもいい時間でした。設立スタッフ追加募集についての記事も。
是非お読みくださいね。
かぜのーと第9号(2018年1月19日発行) – 軽井沢風越学園設立準備財団
「学力=学んだ時間」モデルと教職員の働き方改革と。
先日、こんなニュースが流れてきました。
「学力テスト下位返上のため、夏休み5日減 東松島市、授業30時間増で学力向上目指す」
このニュースに限らず、「授業時間を増やす→学力があがる」という考え方は結構根強くあります。似たような事例は他にもありそう。
「学力=学んだ時間」という量のモデルです。
例えば、小学校における漢字練習を考えてみます。
今でもノート1ページにひたすら練習するのが宿題、みたいなものがあったりします。(子どもの頃、にんべん先に全部書いて、その後に木を一気に書く、なんてしてたなあ・・・)計算ドリルでひたすら練習(答え写しているの母親に見つかってドリル捨てられたことがあったなあ・・・)、みたいなのも。ここに端的に先ほどの素朴なイメージ、「学力=学んだ時間」が根強くあることが表れているなあと思います。
カバーしなくてはならない内容が多いので(網羅主義的カリキュラム)、授業時間が多いにこしたことはない、と考えがちな事情もあります。
ここで考えたい。当たり前と言えば当たり前ですが、大切なのは質です。
その時間で学習者は何をどのように学んでいるのか(あるいは学んでいないのか)ということを検討せずに、時間の善し悪しはわかりません。
時間をいくら増やしても、その時間がただ聞いているだけでノーミソが止まっている、ぼーっとしている、ぜんぜんわからない、あるいはとっくにわかっている、という子が一定いる現状では、あまり意味がないでしょう。安易に子どもたちの時間を奪わないようにしたいと切に思います。
まずは、学校で行われている学びの質を問い直すことです。仮に時間を増やしたときに、学習者から「やったー!」と声があがるようになったら、はじめて意味ある時間増といえるでしょう。すべての子どもに力がついた(どういう力かの議論はここでは置いておきます)と結果が出て、初めて意味のある時間増と言えるでしょう。
学びの質の問い直しの動きはいろいろ出てきています。次期学習指導要領も「主体的・対話的で深い学び」を出していますし、ぼくらが取り組んでいる軽井沢風越学園設立プロジェクトもそのひとつ。
上智大の奈須正裕さんはこう言っています。
「〜国際的にみると、知識・技能の習得だけでなくそれを活用する授業に代えた場合、学習項目は少し減らすのが一般的です。このような授業を先行して行っている欧米諸国ではLess is More、「少なく教えて豊かに学ぶ」という考え方が根付いています。」
学習内容の精選も、次の学習指導要領改訂(2030年?)では重要な論点になっていくことでしょう。
さて、ここまで書いてきて、
「時間をかければ学力があがる、という素朴な考え方は、実は教職員の働き方と入れ子構造になっているのではないか?」という仮説がピコンと浮かびました。
教師の仕事も同様に「いい仕事=かけた時間」と捉えているところはないか?ということです。
例えば、学習者のノートに長いコメントを入れる先生がよい先生、遅くまで残る先生がよい先生、添削も先生の仕事(学習者自分で行うことで自分の学習状況を自分で管理できるようになるというメリットがあるにもかかわらず)、教室環境を放課後一人でせっせと整える先生がいい先生等々。
子どものために時間をかければかけるほど、手をかければかけるほど良い仕事であるという価値観は根強いと、ぼくの現場経験(サンプル数1で恐縮です)で強く感じています。
でもこれは本当でしょうか?
「時間をかけた方がよりよい」という価値観において、教職員の働き方と教室での学び方は入れ子構造になっているのではないかと思うわけです。
今、教員の働き方改革が注目されています。
日本の先生の労働時間は世界一です。小学校で約6割、中学では約8割近くが過労死ラインだそうです。異常事態です。これは個人の働き方、個人の努力の問題ではなく、システムの問題です。ですからシステムとして改善していかなくてはならない喫緊の課題です。
そのことと並行して、「子どものため」と際限なく仕事を増やしてしまうぼくたちのあり方を問い直す。
さらに「学校で行われている学びを問い直す」必要があるのではないでしょうか。
でなければ、仮に学校での負担が軽減されたとしても、学校でおこなれる学びに変化がおきるとは思えないのです。そこでの被害者は学習者です。子どもの時間は奪われ続けているのです。
数年前、オランダの学校に見学に行ったときのことです。
その学校に宿題がないと聞いて驚きました。その理由を尋ねるとおおよそこんなことでした。
「学校で毎日学習している。決められた時間の中で終える、ということが大切。家での時間は各家庭で豊かに過ごしてほしい。だから家に持ち帰らない。大人の仕事も同じで決められた時間の中で終えるのが有能で、残業や仕事の持ち帰りはしない方がいい。余暇は自分の時間。宿題を毎日持ち帰るというのは、仕事の残りを持ち帰るようなもの。子ども時代から、余暇を豊かに過ごす体験をしてほしい」
がーんと頭を殴られた気がしました。
話が横道にそれました。
2000年代初頭の上越市立高志小学校のチャレンジは、文部科学省の研究開発校でありながら「開発学校って、ちょうちん学校になるのでは?そうではない、5時までにする研究開発」というキャッチフレーズに表れているように、「教師の学び方を変える=子どもの学び方が変わる=働き方が変わる」改革を目指していました。
http://www1.s-cat.ne.jp/iwase/upfile/kyoudoubunka.pdf
「教師の学び方を変える=子どもの学び方が変わる=働き方が変わる」学校体制のデザインは、働き方改革において重要な柱だと考えています。私たちはシステムや制度の改善を望むのはもちろん、私たちが現場でできることからも取りかかりたい。
小さな業務改善の積み重ねと共に、最も重要なのは学校の中から「学びの構造転換」に取り組むことができるはずです。
自分たちの環境を変えるコントローラーは自分の中にあるという感覚をもう一度私たちは取り戻したい、そんなふうに考えます。
そのためには、学校での教職員の学び方自体を検討する必要があります。教職員の学びなくして構造転換はないからです。これまでの「研究授業モデル」は限界が来ているのではないかと、私は考えています。ではどうすればよいか、あらためてまとめてみたいと思います。
この本読み直さなくちゃ。
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (8件) を見る
繰り返しになりますが、働き方改革と学校での学び方改革は両輪です。働き方改革に向けて大きく動き出している今だからこそ、学校での学びの構造転換を目指したいです。両輪が回って始めて学校は変わっていくと思うのです。結局働き方改革って、学校での学び方改革とつながっていて、その学び方改革は子どもも教職員も両方なのだなあ。
備忘録:今週買った本と読んだ本。
大学院の授業も始まり、バタバタした日々が戻って来た。
自分が担当している授業、楽しいです。3年目に入りようやく流れができてきた感じ。
さて今週読んだ本。メモ書きですみません。
★★★★★
一気に読了。算数・数学のカリキュラムの概念が変わった。 もっと早くに読めばよかった−。安定の吉田新一郎氏訳。またも外れなし。
★★★★★
圧倒的オススメ。この本の事例としてあげられているHigh Tech Highというチャータースクールが興味深い。
未来のイノベーターはどう育つのか――子供の可能性を伸ばすもの・つぶすもの
- 作者: トニーワグナー,藤原朝子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/05/13
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
★★★
トニーワグナーの本がよかったので読んでみた。こちらはあまりインスピレーションを感じなかった。でもいい本です。
今日読み始めた本。
昨日、ミーティングの待ち時間に本屋によってうっかり買った本は以下。
Amazonから届いたのは、
- 作者: 大串夏身,高野洋平,高木万貴子,鳴海雅人
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2010/04/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
FABに何が可能か 「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考
- 作者: 田中浩也,門田和雄,久保田晃弘,城一裕,渡辺ゆうか,津田和俊,岩嵜博論,すすたわり,水野大二郎,太田知也,松井茂
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2013/08/26
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: グラハム・R.ギブズ,ウヴェフリック,Graham R. Gibbs,砂上史子,一柳智紀,一柳梢
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2017/12/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
2日で1冊か−。もう少しスピードあげたいけど無理だな−…読むのが追いつかない−。
犬を飼いたい
犬を飼いたい。
無性に飼いたい。
一番下の娘が「犬がほしい」と、
「犬ノート」なるものを作りはじめて以来、
なんだか刺激されてしまって、ぼくまで飼いたくなった。
ノートはもう10頁を超えた。
「〜したい」という力はすばらしい。
こんなきっかけから人の関心とか欲望とか夢とかってぐぐっと動くことがある。
ぼくはその情熱に感染してしまった。
ああ、学びって感染動機が強いのね。
宮台真司がいっていたとおりだ。
ちょっとそういう気になると、すべてが
「飼った方がいいよ」と言っているような気がしてくる。
今年は戌年だから飼うべきなんじゃないか。
ぼくは年男だからやはり犬を飼った方が縁起がよさそうだ。
正月の買い物の時にイオンでみたフレンチブルドッグは、
「おまえに飼ってほしい」
という目をしていた。
わかるよ、おれにはわかるよ。
娘が犬の買い方の本を熟読しはじめ、
毅然とした態度←「これどう読むの?」
依存←「これどう読むの?どういう意味?」
と、必然性を持って漢字を学んでいるのを見て、
教育上非常によろしいのではないかとも思えてくる。
すぐ散らかる家も、犬がいることによって、
「かまれちゃ大変!」と片付ける習慣が身につき、
それは誠によいことなのではないか。
まあ、そういうわけで犬を飼いたいわけです。
どうやって家族を説得するかなー。
インコの時みたいに突然買って帰ってきちゃおうかな。
実は中学生の頃、ペットショップで見初めた1000円の雑種を、
「これは運命だ!」と買った経験(前科)があるのです。
こういうわき起こる欲望を前にしたとき、他の人はどうしているのだろう?
カリキュラムについて調べ物をしていて、気がつくと犬のことを考えていたので、ブログに書いてすっきり。
さあ勉強に戻ろう−。