今日読んだ本メモ。
学校教育を考え直すうえでも幼児教育について学ぶのって大事だ。
というわけで今日からこれを読み始めました。
これ、必読ですよ。
第1章の「遊びとはなにか」、第2章「園の環境デザイン」で既に考えるためのヒントがたくさん。
例えば「遊びの特徴」として3つの視点で捉えられています。
1,積極的・肯定的かかわり(物事、世界の事物の肯定等)
2,真剣な対峙
3,子ども同士の共鳴
これって、学びの芽生えと繋がる。
そして探究的な学びにも同じ特徴があるのではないか? 等々。
幼児教育から学校教育を捉え直すこと。
この視点をたくさんの人と共有したい。
幼児教育のオススメの本、教えてください!
今日購入した本はこちら。 寝る前のお供に。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/07/10
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (48件) を見る
太宰治賞の本。読むのが楽しみ。
あ、そういえばミステリー好きなのでついにこれ読みました。
★★★★
今年度の「このミステリーがすごい」の1位ですね。
クローズドサークルの新境地。シンプルに楽しめました。
ノーミソ休めに最近読んだマンガは、
★★★★
めちゃめちゃおもしろい!
★★★★
友人、KAIに借りました。これもおもしろかった−。
★★★★★
これはオススメ。同僚Wさんに薦められて。高校生2人のコミカルな対話劇として楽しめますが、ラスト巻が神刊。今のところ今年ナンバー1。
今日は軽い本ばかりの紹介だったなあ。
それもまたよし。
軽井沢風越学園準備財団のメルマガ最新号でました。
軽井沢風越学園準備財団のメルマガ最新号がでました。
今回は、本城、苫野、岩瀬の「2017年を振り返って」の鼎談があります。
あらためて、とてもいい時間でした。設立スタッフ追加募集についての記事も。
是非お読みくださいね。
かぜのーと第9号(2018年1月19日発行) – 軽井沢風越学園設立準備財団
「学力=学んだ時間」モデルと教職員の働き方改革と。
先日、こんなニュースが流れてきました。
「学力テスト下位返上のため、夏休み5日減 東松島市、授業30時間増で学力向上目指す」
このニュースに限らず、「授業時間を増やす→学力があがる」という考え方は結構根強くあります。似たような事例は他にもありそう。
「学力=学んだ時間」という量のモデルです。
例えば、小学校における漢字練習を考えてみます。
今でもノート1ページにひたすら練習するのが宿題、みたいなものがあったりします。(子どもの頃、にんべん先に全部書いて、その後に木を一気に書く、なんてしてたなあ・・・)計算ドリルでひたすら練習(答え写しているの母親に見つかってドリル捨てられたことがあったなあ・・・)、みたいなのも。ここに端的に先ほどの素朴なイメージ、「学力=学んだ時間」が根強くあることが表れているなあと思います。
カバーしなくてはならない内容が多いので(網羅主義的カリキュラム)、授業時間が多いにこしたことはない、と考えがちな事情もあります。
ここで考えたい。当たり前と言えば当たり前ですが、大切なのは質です。
その時間で学習者は何をどのように学んでいるのか(あるいは学んでいないのか)ということを検討せずに、時間の善し悪しはわかりません。
時間をいくら増やしても、その時間がただ聞いているだけでノーミソが止まっている、ぼーっとしている、ぜんぜんわからない、あるいはとっくにわかっている、という子が一定いる現状では、あまり意味がないでしょう。安易に子どもたちの時間を奪わないようにしたいと切に思います。
まずは、学校で行われている学びの質を問い直すことです。仮に時間を増やしたときに、学習者から「やったー!」と声があがるようになったら、はじめて意味ある時間増といえるでしょう。すべての子どもに力がついた(どういう力かの議論はここでは置いておきます)と結果が出て、初めて意味のある時間増と言えるでしょう。
学びの質の問い直しの動きはいろいろ出てきています。次期学習指導要領も「主体的・対話的で深い学び」を出していますし、ぼくらが取り組んでいる軽井沢風越学園設立プロジェクトもそのひとつ。
上智大の奈須正裕さんはこう言っています。
「〜国際的にみると、知識・技能の習得だけでなくそれを活用する授業に代えた場合、学習項目は少し減らすのが一般的です。このような授業を先行して行っている欧米諸国ではLess is More、「少なく教えて豊かに学ぶ」という考え方が根付いています。」
学習内容の精選も、次の学習指導要領改訂(2030年?)では重要な論点になっていくことでしょう。
さて、ここまで書いてきて、
「時間をかければ学力があがる、という素朴な考え方は、実は教職員の働き方と入れ子構造になっているのではないか?」という仮説がピコンと浮かびました。
教師の仕事も同様に「いい仕事=かけた時間」と捉えているところはないか?ということです。
例えば、学習者のノートに長いコメントを入れる先生がよい先生、遅くまで残る先生がよい先生、添削も先生の仕事(学習者自分で行うことで自分の学習状況を自分で管理できるようになるというメリットがあるにもかかわらず)、教室環境を放課後一人でせっせと整える先生がいい先生等々。
子どものために時間をかければかけるほど、手をかければかけるほど良い仕事であるという価値観は根強いと、ぼくの現場経験(サンプル数1で恐縮です)で強く感じています。
でもこれは本当でしょうか?
「時間をかけた方がよりよい」という価値観において、教職員の働き方と教室での学び方は入れ子構造になっているのではないかと思うわけです。
今、教員の働き方改革が注目されています。
日本の先生の労働時間は世界一です。小学校で約6割、中学では約8割近くが過労死ラインだそうです。異常事態です。これは個人の働き方、個人の努力の問題ではなく、システムの問題です。ですからシステムとして改善していかなくてはならない喫緊の課題です。
そのことと並行して、「子どものため」と際限なく仕事を増やしてしまうぼくたちのあり方を問い直す。
さらに「学校で行われている学びを問い直す」必要があるのではないでしょうか。
でなければ、仮に学校での負担が軽減されたとしても、学校でおこなれる学びに変化がおきるとは思えないのです。そこでの被害者は学習者です。子どもの時間は奪われ続けているのです。
数年前、オランダの学校に見学に行ったときのことです。
その学校に宿題がないと聞いて驚きました。その理由を尋ねるとおおよそこんなことでした。
「学校で毎日学習している。決められた時間の中で終える、ということが大切。家での時間は各家庭で豊かに過ごしてほしい。だから家に持ち帰らない。大人の仕事も同じで決められた時間の中で終えるのが有能で、残業や仕事の持ち帰りはしない方がいい。余暇は自分の時間。宿題を毎日持ち帰るというのは、仕事の残りを持ち帰るようなもの。子ども時代から、余暇を豊かに過ごす体験をしてほしい」
がーんと頭を殴られた気がしました。
話が横道にそれました。
2000年代初頭の上越市立高志小学校のチャレンジは、文部科学省の研究開発校でありながら「開発学校って、ちょうちん学校になるのでは?そうではない、5時までにする研究開発」というキャッチフレーズに表れているように、「教師の学び方を変える=子どもの学び方が変わる=働き方が変わる」改革を目指していました。
http://www1.s-cat.ne.jp/iwase/upfile/kyoudoubunka.pdf
「教師の学び方を変える=子どもの学び方が変わる=働き方が変わる」学校体制のデザインは、働き方改革において重要な柱だと考えています。私たちはシステムや制度の改善を望むのはもちろん、私たちが現場でできることからも取りかかりたい。
小さな業務改善の積み重ねと共に、最も重要なのは学校の中から「学びの構造転換」に取り組むことができるはずです。
自分たちの環境を変えるコントローラーは自分の中にあるという感覚をもう一度私たちは取り戻したい、そんなふうに考えます。
そのためには、学校での教職員の学び方自体を検討する必要があります。教職員の学びなくして構造転換はないからです。これまでの「研究授業モデル」は限界が来ているのではないかと、私は考えています。ではどうすればよいか、あらためてまとめてみたいと思います。
この本読み直さなくちゃ。
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (8件) を見る
繰り返しになりますが、働き方改革と学校での学び方改革は両輪です。働き方改革に向けて大きく動き出している今だからこそ、学校での学びの構造転換を目指したいです。両輪が回って始めて学校は変わっていくと思うのです。結局働き方改革って、学校での学び方改革とつながっていて、その学び方改革は子どもも教職員も両方なのだなあ。
備忘録:今週買った本と読んだ本。
大学院の授業も始まり、バタバタした日々が戻って来た。
自分が担当している授業、楽しいです。3年目に入りようやく流れができてきた感じ。
さて今週読んだ本。メモ書きですみません。
★★★★★
一気に読了。算数・数学のカリキュラムの概念が変わった。 もっと早くに読めばよかった−。安定の吉田新一郎氏訳。またも外れなし。
★★★★★
圧倒的オススメ。この本の事例としてあげられているHigh Tech Highというチャータースクールが興味深い。
未来のイノベーターはどう育つのか――子供の可能性を伸ばすもの・つぶすもの
- 作者: トニーワグナー,藤原朝子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/05/13
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
★★★
トニーワグナーの本がよかったので読んでみた。こちらはあまりインスピレーションを感じなかった。でもいい本です。
今日読み始めた本。
昨日、ミーティングの待ち時間に本屋によってうっかり買った本は以下。
Amazonから届いたのは、
- 作者: 大串夏身,高野洋平,高木万貴子,鳴海雅人
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2010/04/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
FABに何が可能か 「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考
- 作者: 田中浩也,門田和雄,久保田晃弘,城一裕,渡辺ゆうか,津田和俊,岩嵜博論,すすたわり,水野大二郎,太田知也,松井茂
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2013/08/26
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: グラハム・R.ギブズ,ウヴェフリック,Graham R. Gibbs,砂上史子,一柳智紀,一柳梢
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2017/12/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
2日で1冊か−。もう少しスピードあげたいけど無理だな−…読むのが追いつかない−。
犬を飼いたい
犬を飼いたい。
無性に飼いたい。
一番下の娘が「犬がほしい」と、
「犬ノート」なるものを作りはじめて以来、
なんだか刺激されてしまって、ぼくまで飼いたくなった。
ノートはもう10頁を超えた。
「〜したい」という力はすばらしい。
こんなきっかけから人の関心とか欲望とか夢とかってぐぐっと動くことがある。
ぼくはその情熱に感染してしまった。
ああ、学びって感染動機が強いのね。
宮台真司がいっていたとおりだ。
ちょっとそういう気になると、すべてが
「飼った方がいいよ」と言っているような気がしてくる。
今年は戌年だから飼うべきなんじゃないか。
ぼくは年男だからやはり犬を飼った方が縁起がよさそうだ。
正月の買い物の時にイオンでみたフレンチブルドッグは、
「おまえに飼ってほしい」
という目をしていた。
わかるよ、おれにはわかるよ。
娘が犬の買い方の本を熟読しはじめ、
毅然とした態度←「これどう読むの?」
依存←「これどう読むの?どういう意味?」
と、必然性を持って漢字を学んでいるのを見て、
教育上非常によろしいのではないかとも思えてくる。
すぐ散らかる家も、犬がいることによって、
「かまれちゃ大変!」と片付ける習慣が身につき、
それは誠によいことなのではないか。
まあ、そういうわけで犬を飼いたいわけです。
どうやって家族を説得するかなー。
インコの時みたいに突然買って帰ってきちゃおうかな。
実は中学生の頃、ペットショップで見初めた1000円の雑種を、
「これは運命だ!」と買った経験(前科)があるのです。
こういうわき起こる欲望を前にしたとき、他の人はどうしているのだろう?
カリキュラムについて調べ物をしていて、気がつくと犬のことを考えていたので、ブログに書いてすっきり。
さあ勉強に戻ろう−。
【更新】軽井沢風越学園準備財団・設立スタッフ追加募集
軽井沢風越学園設立プロジェクト、少しずつ少しずつ、でも着実に進んでいます。
校舎建築予定地の空。
先日、ある知り合いから聴いた話で、
「自分の周りでは軽井沢風越学園は野外教育の学校と思われているみたいですよ」。
そうなのかあ。発信ってなかなか難しい。
もちろんぼくらは「あそび」と「まなび」は分けて考えていない。
野外でたっぷりあそぶのも、没頭して学ぶのも,同じ地平にある。
だからこそ、カリキュラムって大事。
カリキュラムづくりのフェーズに入り始め、逆説的だけれど、改めて教科の専門性って大事だなあと痛感している。
次期指導要領の「見方・考え方」にあたるところ。
コンテンツとプロセスって両輪だから、
当然だけれど場づくりだけでは本質的にいい学びにはならない。
例えば、数学の美しさを知っている人には、ぼくには見えていない世界がある。
文学を愛していない人に,読みの学びはデザインできないだろう。
専門性って、「その世界に没頭している」ということなんだろうな。
先の話に戻ると、学問の専門性、教科の専門性を大事にしている方々にあんまり発信が届いていないんだなあと感じる今日この頃。その方々にも届いてほしい。
どんどんその人たちとつながって、
魅力的な自己主導のカリキュラムにバージョンアップしていきたい。
というわけで、一般社団法人 軽井沢風越学園設立準備財団では、
設立スタッフの追加募集を開始しました。
http://kazakoshi.jp/recruit/
詳しくはぜひ上記のリンクをご覧ください。
算数数学では自由進度の学びの個別化カリキュラムを実現させたいし、その中で協同的な探究も大事にしたい。
社会は教科横断的な探究カリキュラムの核の一つにしたい。
専門性を最大限大事にしつつ、その枠にとらわれない新しいチャレンジをしたい。
数学だって、教科の枠を当然超えていくはず。
それを一緒に楽しんで、子どもと共につくっていきたいです。
養護教諭って学校の要。
ぼくがこれまで教員として勤めてきた学校で、ステキな養護教諭に出会ってきました。
子どものケアはもちろん、ぼくもよく話に行ったなあ。
子どものこと、学校のこと、いろいろ相談に乗ってもらっていました。
今でもたまに一緒に飲むくらい仲良くもなりました。彼女がいるだけでなんだか場が安心になる、そこにいくだけでなんだかホッとできる、そんな保健室でした。
幼稚園、軽井沢風越学園の土台はここ。
ここがすべてのスタート。小中にもがんがん関わってほしい。
そして、小とのつながりをデザインすることも大きなチャレンジです。
というわけで、
みなさまどうぞよろしくお願いします。
義務教育学校 数学 1名
・中学校数学の教諭免許を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。
・教科の専門性を持っている。
・算数・数学の個別化(自由進度学習を含む)のカリキュラム作成・実践に関心がある。
・修士・博士あるいはこれと同等の教育研究業績を持つ方歓迎。
義務教育学校 社会 1名
・中学校社会の教諭免許を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。
・教科の専門性を持っている。
・小1から中3までの教科横断的な探究学習のカリキュラムに関心がある。
・修士・博士あるいはこれと同等の教育研究業績を持つ方歓迎。
義務教育学校及び幼稚園 養護教諭 1名
・養護教諭免許状を所持している。
・教職員や保護者と連携をとりながら、子どものからだと心の健やかな成長を支えられること。
・看護師免許を併有している方歓迎。
・年齢・性別は問いません。
幼稚園 幼稚園教諭 1名程度
・幼稚園教諭免許状を所持しているか2019年3月までに取得見込みである。
・保育士資格を併有している方歓迎。
・年齢・性別は問いません。
今年は幼稚園・保育園をたくさん見にいこう。
今年もよろしくお願いします。
ジョギング再開。
さて。
幼稚園・保育園から小学校へ入学するときその文化の違いに戸惑う、
いわゆる「小1プロブレム」がある。
昨日まで、園で頼れる存在だった年長さん。
年下の子のケアも、園の仕事も自分たちでこなしてきた。
ほとんどなんでも自分たちでやれる、ちょっとかっこいい存在だったりする。
それがある日を境に、急に「なにもできない、かわいらしい1年生」となる。入学式の入場も6年生と手をつないで。ちょっと前まで年少さんの手を引いていたというのに。6年生から逆算した存在として「面倒を見られる」存在となる。
昨日まで「面倒を見る」頼れる存在だったかもしれないのに。
ぼくが初めて1年生を担任したとき、やはり「なにもできないんじゃないか」と正直不安になり、友人の幼稚園の先生に相談した。
「あのねー、年長さんとして園で『番を張っていた』んだから、何でも自分たちでできるの。朝の会だって司会も自分たちでやるし、給食の配膳だって、ケンカの仲裁だって、下の子の世話だってやってきてるの。なんでも任せてみてよ。失敗したっていいじゃない。そこから学ぶ力だってあるんだよ」
本当にありがたい助言だった。
そして1年生はまことに頼もしい存在だった。
給食の食缶を運ぶとき、Mくんが倒してしまって廊下がカレーだらけになった。廊下中に広がったカレーから湯気が上がっているのを見て目眩がしたぼくはつい「なんで倒したの!」と言ってしまった。するとKちゃんが、「先生、そんなことより片付けることが先でしょ」とぼくを諭した。本当にその通り。みんなでカレーを拭く作業は、不謹慎だけれど、なんだかお祭りのようで楽しかった。その間に給食当番の子は食缶を持って他のクラスに、
「カレーこぼしちゃったんで少し分けてくださーい」と集めて歩いてくれた。
どんな存在としてみるかで、アプローチはかわる。
小1プロブレムとはなんだろう?
その内実は、小学校が、自分たちの文化に疑いを持たず、教員の「教えやすさ」を優先させて、「学校のお作法」を教えることの優先順位を上げてしまっているからではないか?
我が家の次女は、遊ぶことを大切にする保育園を卒園し、小学校に入学したとき、
「学校ってずっと座ってるんだよ」
「手は膝の上に置かなくちゃいけないんだって」
「どんなに晴れていても、教室の中にいるんだよ」
「遊ぶ時間は20分しかないんだよ」
と不思議そうに報告してくれた。
ある日を境に、文化が180度変わる。
ある日を境に、「動き回る」から「座り続ける」に。
ある日を境に、「あそぶ」から「勉強する」に。
ギャップを感じる方が自然だ。
小1プロブレムとは、子どもの問題ではなく大人の問題。
この段差は大人が作った段差で、子どもの育ちの段差ではない。
子どもの育ちから、低学年期のあり方を1から考えてみよう。
幼小のつながりを1からデザインしてみよう。
遊びと学びに本当に境目はあるのか?
学ぶということは座るということと同義なのか?
幼と小の文化が「まざる」ことでどんなことが起こるのか?
当事者である子どもがワクワクするような「幼小のつながり」があるはず。
特に小学校低学年期は、もっともっとあり方を変えていっていいはず。
小中一貫、中高一貫が盛んだが、これからは幼小一貫のデザインが重要になる。
小学校は、幼稚園・保育園の実践から学ぶべきことが山のようにある。
というわけで、今年はたくさんの幼稚園・保育園に参観に行きたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。