いわせんの仕事部屋

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サマースクール2日目。

2日目がはじまる。

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フィールドに着くと、7時半に一番乗りした人が,早速秘密基地づくりの続きに取りかかっている。「高すぎる木」の人たちも、さっそく登るチャレンジを始めていた。自分がやりたいことの力はすごい。 

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朝のサークルタイムを終え、今日のスタートは「すぎる祭り」から。
オギタカさん(http://oto-asobi.main.jp/)、
さらしなまりこさん(http://saramarinko.wixsite.com/sarashinamariko/profile
によるワークショップ。

自然の中で音であそび、Artであそぶ。
1日目の午前中のアクティビティのこともあり、どうなるかなあと少し不安もあったけれど、いやいや本物の力はすごかった。
潤沢な楽器、潤沢な材料。

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ジャンベの音が自分にも響いてくる。本物の楽器を自由に使えるってうれしい。 

楽器の音に反応してさえずる鳥の声。森に響くジャンベの音。楽しそうに踊る人々。

 

 ワークショップの中ではつくる時間もあった。さらしなまりこさんの「カオカオフレンズ」。(http://sarashinamariko.blogspot.jp/2017/

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つくることに没頭する姿。

 

気がついたら、幼児も自然に混ざって,一緒につくっていた。太鼓の音に誘われて,演奏を一緒に行っている幼児も。

この自然に「まざる」ことが,軽井沢風越学園で大切にしたい姿。

こんなシーンがいくつもあった。

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空を飛べそう。 

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武器を作ったっていい。

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つくるものは人によって全然違う。あらためて学びは個人的なものなのだと確認。学習の個別化というのはある意味当たり前なのだ。それは教科でも探究でも遊びでも。

つくるということは、学びのコントローラーを自分の手に取り戻すことにつながる。つくりたいものをつくる。潤沢な材料と道具を自由に使える。その環境構成こそが重要。その視点から学校を眺めてみると何が見えるだろうか。

自分自身の活動や学びを自分自身の手で受け止める体験。振り返ってみると、この時間がこれ以降の探究するときの根っこになったと思う。

 

         *  *  *

 

探究するって自分からスタートするときもあるし、新たなものに出会ってスタートすることもある。
学校、いや学びにとって、このような「新たなものとの出会い」「本物との出会い」「魅力的な人との出逢い」も大事だなあとその様子を眺めていて思った。未知はアドベンチャーのきっかけになる。もちろん、全員が楽しかったり,没頭するとはかぎらない。でもたくさんの出会いのチャンスの中で、自分でも気づかなかったようなやってみたいこと、学んでみたいことに巡り合うんじゃないだろうか。オギタカさん、まりこさんはそんな未知との出会いを運んできてくれた。

  

この巨大構造物「ニコピカくん」は、スタッフとオギタカさん、まりこさんと作成。大人も大きすぎるを楽しんじゃう。

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この大きすぎるのがステキ。
オギタカさんは、前日の打ち合わせにも来てくださり、初日にも「場の空気感を感じておきたくて」と顔を出してくださった。まりこさんは、結局4日間グループで子どもたちの「すぎる」に伴走してくださった。

ちなみにぼくは「たいくつ王」として、このワークショップのストーリーの一部で参加。

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「たいくつだあー」ばかり言う王様。あー楽しかった!(幼児には「へんたいおう!」と言われたけど…笑)

 

3時間のワークショップ終了後。お昼ご飯と自由遊び。
ご飯が終わると、自由に遊ぶ人と、「○○すぎる△△」の続きを始める人と。「あそび」と「探究」の境目が溶け始めてきた。そもそもこの二つは分かれているものではないんだ。分かれていると感じるときは、どこか学びが矮小化されているときなのかもしれない。そのまま午後は「○○すぎる△△」に突入。

 

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「高すぎる木」で、木の上を目指す人たち。ロープの先におもりをつけてなんとか引っかけようとするのだが、なかなか引っかからない。あきらめずにやり続ける。

 

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きれいすぎる花束。

 

しばらくして台風の影響が出てきて雨が降り始めた。

探究している人たちにあまり影響はないみたい。

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あやしすぎる秘密基地づくり。まずはとれすぎるカブトムシの罠をセッティング。「夜の8時に確認に来よう」と相談してる。カブトムシも捕れる基地は一石二鳥。この秘密基地はこの後どのように「すぎて」いくのだろう。

 

「大きすぎる剣」をつくるために、ひたすら木を切る探究人。雨が強くなってきても全く関係なし。ひたすら切る。

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 昨日からずっと切り続けているが、剣先がなかなか二等辺三角形にならない。そろえようとしているうちに、どんどん剣先が小さくなってしまう。

途中で線を引いて(作図して)切り始めたが、うまく真っ直ぐ切れず、やっぱりずれてしまう。何度も試行錯誤を続け、最後は三角形がそろったところで、板を縦に切り始めた。ここから1m以上切らなくてはならない。

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 それでも無心に切る。結局1時間半、どんどん強くなる雨の中ずっと没頭し続けていた。彼の中には成果物のイメージができているんだろうな。明日は丸1日、探究する時間。どんな時間が待っているんだろう。

 

 

繰り返しになるけれど、潤沢な道具と,潤沢な材料。やりたいことを実現できる空間。自由な試行錯誤の保障。たくさんの時間。この森のフィールドが豊かな学習環境になってきている。これは学校でだって実現可能なんじゃないだろうか。

 

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LOGOや、マインドストームで有名なパパートは構築主義をこう定義した。

心理学の構成主義の理論が教えるところにより、私達は学習を知識の伝達ではなく、再構築としてとらえる見方をとります。そのうえで、私たちは取り扱い容易な素材を用いて、有意義な成果物の構築を学習者が経験する活動こそ、もっとも効果的な学習であるとの考えにいたりました。

作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)

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「作ること」から学ぶ。それは単にハンズオンであるということではない。軽井沢風越学園のカリキュラムでも、構築主義という学習理論から学ぶことは多そうだ。 

 

子どもたちの姿を見ながら、ぼくは軽井沢風越学園でのICTもこんなカタチになるんだろうなと確信を強めていた。この話はまた改めて。 

 

あっという間に午後の探究の時間が終わった。明日は台風の予報。なんとか中止にならず、おもいっきり探究できる時間になるといいなあ。

台風の影響で,川での活動が中止になってしまった。活動しながら変わっていっている人や合体などもあり、「○○すぎる△△」は以下のように変化してきた。明日もきっと変化していくんだろう。

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終了後、宿に戻って夕食を食べた後は、スタッフミーティング。

それぞれの子が,今どんな感じなのかを情報交換し,明日、どんなふうに関わっていこうかを話し合う。子どもの探究を邪魔しない関わりってどんなカタチだろう。学校現場での経験があると、つい過剰に関わってしまいがち。過不足ない関わりを日々試行錯誤し続ける。

スタッフ間のコミュニケーションも1日目より深まってきた。

 

3日目。子どもたちの「○○すぎる△△」は、ぼくらの発想を遙かに超えて、どんどん「すぎて」いった。

 

 

サマースクールがおわりました。1日目。

軽井沢風越学園設立準備財団の4日間のサマースクールが終わった。

すごくいい時間だった!

忘れないように小学校プログラムの概略をメモします。

 

今回のテーマは、「○○すぎる世界」。
幼児は思いっきり遊びすぎ、小学生は一人ひとりの「すぎる世界」に没頭するのが目的。

 

本城も書いているけれど、今回のコンセプトが固まるまではけっこう大変だった。

「〇〇すぎる世界」。明日からサマースクールです。 (雑記)

 

 

ひとり一人の「○○すぎる」をどれだけ大事にできるか。

これが今回の4日間の軸。

しかし、前日のスタッフ打ち合わせでは、ついつい不安になって、

「ある程度テーマを大人が絞って,選んでもらう方がよいのでは?」 

「ひとり一人になると、サポートする大人の手が足りなくなる可能性もあるから、今回はグループで探究するって決めた方がいいのでは?」

と、ついつい構成的にしたくなっちゃう。

 

しかし、スタッフ間でのやりとりの末、

「やっぱりひとり一人の探究を大事にしよう」という,軽井沢風越学園で目指すカリキュラムの軸「自己主導」に戻ることができた。4日間おもいっきり「○○すぎる世界」に浸れる場に。それを確認して当日へ。

活動をしょぼくするのはたいてい大人の先回りや不安だったりする。

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いよいよサマースクールスタート。

1〜4年生、40人の子たちが20人ずつの2つのホームグループに分かれた。

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 まずサークルタイム。奥の山からは幼児の楽しそうな声がきこえる。お互いの様子を感じあえるのがいい。

「まずは出会いのアクティビティが必要だな」と、お互いを知り合うアクティビティ、一緒に遊んで関係性を創っていくアクティビティを次々にやっていく。

会場となった場所は豊かな森で、近くには川も流れている。このフィールドで月に2回思いっきり遊んでいる子たちが参加者のうち半分いたので、フィールドを案内してもらったりもした。

2時間近くのアクティビティで「あそんでいる」最中、衝撃的なセリフが。

「で、いつあそぶの?」

え…今遊んでいるじゃん…けっこう楽しんでるじゃん…

そうか、構成的なアクティビティは「遊ばされている」だけであって、「遊んでいる」んじゃないのか…

もちろん1人で初めて参加した子の中には,このアクティビティでちょっとずつ知り合ったり,関わったりする機会になっている子もいる。だからまったく意味がなかったとは思わない。でもこのセリフは強烈だった。

遊ぶと遊ばされる。

探究すると探究させる。

この違いは大きい。

このままでは「あそぶ」と「探究する」が分かれてしまう。

「探究させる」になってしまうかもしれない。

急遽スタッフミーティングをして午後のプログラムの相談。ここは今回のサマースクールで、ぼくらスタッフにとって一つの山場だったと思う。様々な工夫を用意していたのだけれど、

「小手先の工夫はやめて、ストレートに子どもと話そう」

「ひとり一人のこだわりたい探究テーマを決めよう」

と確認した。

 

昼食の後は2時間の自由あそび。学校の業間休みの6倍。でも2時間ってあっという間。

ここで子どもたちのパワーは爆発する。

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川を下ったり、せき止めてダムを造ったり。川で缶を船にして流す。どうすれば速くなるか工夫し始める。そこにすでに探究ははじまっていた。わざわざ「探究です!」とか言わなくても。

他にも虫を捕まえたり、草木であそんだり、ロープを張った遊具で遊び始めたり。この情景をスタッフと子どもたちと共有できたことは本当によかったと思う。「ああ、この感じ」が共有できた。「○○すぎる」ためには、本人がワクワクすること、没頭することからスタート。そしてそれは人によって違う。「わたし」からスタートしよう。

 

いよいよ午後。

一人ひとりの「○○すぎる世界」を考える時間。

この4日間、どんなことを○○すぎたいか。

「あそび」と「まなび」がどう溶け合うのか。

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この重なりがどれくらい大きくなるのか。

 

まずは「○○すぎる」と「△△」を分けたカードを作り、いろいろなことばをつなげてみる遊びで、イメージをふくらませる。思考のきっかけづくり。思いがけない組み合わせが可能性をひろげる。

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しばらくいろんな組み合わせをゲーム的に作って笑ったあと、いよいよ自分の「○○すぎる△△」を決定。

この時間をたっぷり取った。自由遊びから発展して考える子がいた。持っていた自分のこだわりで決める子もいるし、カードを合わせているうちにおもしろそうなテーマが生まれる子もいる。他の人のテーマに乗ってみる子もいるし、なかなか決まらずスタッフと対話を続ける子も。

決まり方も人それぞれ違う。

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午後2時間の自由遊びが、発想を広げたり、やりたいことを身体がわかる時間になったよう。決まった人からじんわりとスタートすることにした。動いてみないと4日間続けたいテーマかどうかはわからない。だから、途中で「○○すぎる△△」は変わってもOK。

「いっぱいありすぎるダム」に決まった人たちは、シャベルを持って川に駆けていった。

遊具を作り始めた子たちも。

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最終的に1日目にでてきたテーマはこんな感じ。

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なかなか多様な「すぎる」がそろった。

活動中心のテーマの人は、活動しながら問いや「やりたい」が次々に生まれてくるだろう。まだイメージが広がっていない人たちに、ぼくらはどう過不足なく関わっていくのがいいだろう。まだまだこの場にいることに不安のほうが多い子もいる。ぼくらはそこにどういるといいだろう。

残り3日間で、一人ひとりはどんなふうに「すぎて」いくのだろう。

 

1日目終了後、ロジ担当のスタッフが明日の探究に必要そうな道具類を買い出しに回ってくれた。スタッフが泊まった貸別荘ではおいしい晩ご飯をつくって待ってくれていた。それぞれの人がメンバーを想い、動いてくれている。

さあ、ぼくらスタッフにとっても,チャレンジングな4日間がはじまった。

そしてここからの3日間、子どもの「○○すぎる」姿に圧倒されることとなった。

 

 

 

 

うし

アリス館からでた「うし」。

 

うし

うし

 

内田麟太郎さんの詩に高畠純さんが絵を描いた絵本。

絵がいいんです。

つい笑ってしまう。

 

今度小学校で授業する機会があったら、これを最初に読もう。

 

あ、こんなことやったら楽しそう。

 

1,「うし」の詩を読む。

2,「うし」の絵本を楽しむ。

3,学校図書館で好きな詩をさがす。

4,その詩に絵を描いて,絵本をつくる。(1人でも,数人でも可)

5,みんなで読み合う。

 

ナンセンスな詩が人気になりそうだな。

 

さて、明日は静岡県教委で1日、学級経営の研修です。

ギックリ腰はまだ完治しないけれど、がんばるぞー。

研究室から帰ろうと思ったら,スミスキーが見送ってくれた。

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手段としての協同 目的としての協同。

なぜ協同で学ぶのか?

なんででしょう。

 

大きな目的の一つとしては、端的に学力の向上が挙げられそうです。

 

研究でも、協同の学びは学習成果につながることが示されてます(いわゆる学力だけではなく、児童生徒の自己概念、社会的相互作用、仲間への肯定的感覚等にも望ましい成果を上げるそう)。

質の高い協同の学びは、学力の向上、非認知能力の向上に寄与するでしょう。

パワフル・ラーニング: 社会に開かれた学びと理解をつくる

パワフル・ラーニング: 社会に開かれた学びと理解をつくる

  • 作者: リンダダーリング‐ハモンド,Linda Darling-Hammond,深見俊崇,廣瀬真琴,御園真史,坂本將暢,益川弘如,杉山元洋
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↑この本は必読。★★★★★

ただ聞いているだけの授業からは脱したい。

 

では協同だー!と、ただグループワークをすればいいというものではないし、ペアで話すことを増やせばいい、ということでもない(やらないよいりはましかもしれないけれど)。

場合によっては、「教える-教えられるの関係性の固定から生じる負の効果」も考えられます。

 質の高い協同の学びは実践の蓄積がたくさんあります。そこから真摯に学び、試行錯誤していきたいなあと思います。

 

ぼく自身は、学び方や学ぶペースは一人ひとり違う、ということを前提として、必要に応じて助け合えるゆるやかな協同。これがこれから目指していく学びの姿だと考えています。

 

 

 

目的としての協同

協同の学びはこれまでも学校教育で大切にされてきたことです。

ここまで書いてきたことは、言ってみれば「手段としての協同」といえるでしょう。しかし協同は手段としてだけ捉えるのでよいのでしょうか。

 

この週末、とあるところのワークショップ(?)でこのことを考える機会がありました。そこで出てきた議論が「目的としての協同」。

社会をつくっていくということは協同しておこなう営み。

学校も同様です。

学校という場での協同は「よりよい学校(社会)を共に創ることに参画する」ことそのものではないかと思います。

 

学校の生活や学習の中で起きる様々な課題や問題に、どうすれば解決していけるか協同で探究する。そのことによって学校というコミュニティ自体が自分にとっても他者にとってもよりよい場になっていく。

 

つまり協同してコミュニティや学びをつくっていくこと自体が、民主主義の土台としての学校の役割ではないかと思うのです。

 

 

そのためには「子どもは共に学校を創っていくパートナー」であるという前提に立つ必要があります。

これってハードルが高そうに見えるかもしれません。でも越えてみたら、なんてことはないハードルだと思うんですよ。

そして、一緒につくっていった方がよりよいものになるに決まってます。

ルールも一緒につくる。改変する。学習環境も一緒につくる。改変する。

 

 

たくさん苦労もするはず。

なかなか結論が出なかったり、意見がぶつかったり、わかりあえなかったり、 折り合いをつけなくちゃいけなかったり、価値観の違いにびっくりしたり、なかなか成果が出なかったり。

たくさん発見もあるはず。

思っても見なかった新しいアイデアが生まれたり、共通点が見いだせたり、喜ばれたり,共に喜んだり、自分や他者の思わぬ強みや好きなことが見つかったり、確かに自分の所属するコミュニティが変わる実感を得られたり。

 

そんなたくさんの体験の中で「自分がコミットすることで自分の周りはよりよく変わっていく」というたくさんの体験の積み重ねが、これから生きていくときの原体験として,力強くハラの底に定まるのではないか。

そんな風なことを思いつつ、学校でのミーティングの情景を描きました。

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ミーティング – 一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団

 

ぜひ感想聞かせてください。

ああ、3連休が終わってしまうー。

夏休みまでがんばろー!

 

もっと早く見ておくべきだった!「トントンギコギコ図工の時間」。

いやあ、もっと早く見ておくべきだった!!

映画「トントンギコギコ図工の時間」。

 

 

www.youtube.com

 

HPよりストーリーを紹介します。


トントントントン、ギーコギーコギコギコギコ…。
日の当たる教室の中から、にぎやかな音が聞こえてきます。
ここは、東京都品川区立第三日野小学校の図工室。
週に1回2時間ずつ、いろいろな学年の子どもがやってきます。

ある日の図工室に集まっていたのは、3年生。
子どもたちの真ん中で、バケツを抱えてニコニコしているおじさんは、図工専科のウチノ先生です。

「ジャジャーン!」とウチノ先生がバケツをあけると、机の上には古いクギがてんこ盛りになりました。
「使えるクギ、さがしてください」
錆びたり曲がったりしたクギを見て、子どもたちは「全然見つからない!」「さびてるじゃん」とブツブツ。
すると今度は、ウチノ先生がトンカチの使い方を教えてくれます。
「最初は釘を手で押さえてトントン。それから手を離してドンドン」両手に乗るくらいの角材に、先生が数本のクギを打ちこみます。
「なにか模様ができるね。やってみる?」
「はーい!」
それから子どもたちは、無我夢中でトントンドンドン。
箱とか本立てとか、何か役に立つものをつくるわけではなく、ただひたすらにクギを打つのです。

http://www.tontongikogiko.com/zukounojikan2.html

 

まずは学習環境がステキ。

図工室のそばにある「宝物室」には、とにかく材料が豊富。そこにいるだけでワクワクするモノの図書館。

子どもはそこから思い思いの材料を選びます。

道具もまた自由に使える。とんかち、釘、ノコギリ、巻き尺、万力、おの、のみ、等々、自在に使って、自分のつくりたい物をつくります。自由な場を存分に味わえる力(力能)を身につけているんですよね。

 

やりたいことを徹底してやれる自由な環境と、その場を徹底的に活用できる力能(図工の場合は、様々な道具が使えることがその一つ)。
そこに遊びと学びの境目はありません。
そこにいる小さな芸術家たちは、対象世界に没頭して、徹底的に試行錯誤しています。
 
 
題材がまたステキ。カーペンターズ、ウオーターパラダイス
チャレンジティンケリー、建築家の夢等々(詳しくは是非DVDを)。今のぼくでもやりたくなっちゃう。
 
ウチノ先生は、対象世界への魅力的な入り口を作り、必要な力能が身につけられるようサポートする人。
自由度の高い学びほど、そこにいる大人の専門性が大切になってくるんだなあと改めて考えました。
 
アトリエ的な学習環境と、「つくる」カリキュラム。
からだで学ぶ。
自分にこだわって学ぶ。
対象世界に没頭して学ぶ。
専門家になって学ぶ。
遊びと学びがまざる。
軽井沢風越学園のカリキュラムを考える上で、大切な視点をもう一度心にとめる機会となりました。いろいろなものがつながった感覚を得ました。
「つくる」って大事だ。探究したいことに出会うプロセスなのだろうな。
 
ああ、だからフレネは「手仕事」を大切にしたんだな。
 
6年生最後の図工の授業での、
「見つけながらつくっていく」
という。ウチノ先生のことば。
これはこれから軽井沢風越学園の学校づくりのプロセスそのものだな。
大事にしていきます。
 
つくることに没頭している小さな芸術家達の姿が美しいです。
見とれます。
 
ぜひぜひ見てくださいね。
なんで今日まで見なかったんだ-!
12年前の映画だなんてー・・・・・・・
でも今が出会うタイミングだったのだろうな。
トントンギコギコ図工の時間 [DVD]

トントンギコギコ図工の時間 [DVD]

 

 教育関係のドキュメンタリーでは、ぼくの中で圧倒的ナンバー1です。

 
 

「授業改善から学びの構造転換へ」

今、

『すぎなみ9年カリキュラムー全ての子どもに、よりよい人生を切り拓く基盤を確実に築く「つながり」と「生かし合い」の学習指導』

を読み込んでいます。

杉並区のホームページよりダウンロードできます。

 

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これ、すごいですよ。

「授業改善から学びの構造転換へ」

超画期的です。学びの個別化にも言及されています。

教育行政からこのようなすごい提案が出てくる。

教育が確実に変わり始めているのを実感します。

www.city.suginami.tokyo.jp

 

特に「巻頭言」と「総合的な学び理論編」がおすすめです。

今日、ぼくは理論編64頁でグッときました。

教育行政も確実に変わってきています。実践でそれに応えていきたい。

ぼくもがんばろう。

 

ちょっと長いですが引用します。ぜひ読んでください。

 

 

 私たちは、関わり合うことで、自分と他者の同じと違いを知ります。喜びや痛みなど様々な感情を経験し、「私」と「あなた」を調整し承認し合う方法を学んでいきます。そうして共に学び、徐々に他者や社会に働き掛けることを知る。それは最初、遊ぶ約束、物の貸し借り、口論した後の仲直り、あるい共に生活する教室環境や学級のルールといった小さな社会かもしれません。

 

 しかし、成長に伴って社会は大きくなっていきます。身近な場所、地域、国、そして世界。一人ひとりが、これら社会やそこに生きる自身の課題と向き合い、各教科で学んだことを使って、思い思いに活動する。その成果を生かし、世代、身体、性、地域、言語・文化、思想・信条、障害・症害、職業といったあらゆる境界を超え協同していく。ひいては、この社会は確かに変えていくことができるのだという集合的な効力感を、自分(たち)は自然を含め共に生きる万象のうちに在るのだという実感を育てていく。それが生活科や総合的な学習の時間の目標の指針となる総合的な学びの目的であり、学びを構造的に転換するということです。この意味で「総合的な学びの在り方」と「学びの総合的な再考」は、互いを呼び合う関係にあります。

 

 先にみたように、かつてデューイは、「学校を胎芽的な社会生活の場にしていく」といいました。ここで一つ付け加えておくなら、そのために学校という機会は、互酬と協同の実践によって、子どもたちを含め、そこに関わるすべての人の意志を代表してー経営ではなくー「統治」されなければなりません。その先には、全ての人と共に在る「協治」としての学校を見据える必要があります。それが胎芽的な社会生活、すなわち、私と公が融和したよき市民社会の胎芽になるからです。

 

対話型模擬授業検討会

たまには大学教員らしい実践メモ。

わかりにくいですが、自分用のメモとして。

 

今日は、教職大学院、「カリキュラムデザイン 授業研究演習」の「対話型模擬授業検討会」の2週目。

この「対話型模擬授業検討会」。
先日、論文が日本教師教育学会で無事査読を通過し、掲載されることになりました。(是非お読みくださいね!)いやーうれしい。

 

さて。

今日ぼくが入ったグループ。
いやあ、2週目にして大きな壁を越えつつあることに驚き。
コルトハーヘンの8つの窓をツールに、本質的な諸相の気づきへ近づきつつあります。

なにより院生の皆さんが、「自分たちでよいものにしよう」という当事者意識を持って取り組んでいることに感動します。

1回目の検討会の後に、「さっきの検討会の振り返りをしない?」と一人が切り出して、プロセスの省察を始めました。

2回目の検討会は鳥肌もの。すでに「行為のつっつきあい」「自説の開陳のしあい」という段階を超えてきました。
「対話で意味を深める」の感覚をつかみつつあります。
ぼくら教員の側に実践知が貯まってきて支援のポイントがはっきりしてきたことや、学生が2年生の検討会をモデルとして参観したことも加速させている感じ。

 

「学び合いと教え合いの質的な違いは何か」
「知識を構成するとはどういうことか」

というような問いも、起きたことを基にした対話の中から生まれつつあり。

 

いやあ、それにしても今年の学卒1年生、意識が高くてすごい。
素直に感動しました。
最後「一本締めして終わろう!」(笑)と学生が言い出して終わったのも、手応えがあったからでしょう。
終わった後も、
「ここが深めるポイントかと思って意識して発言してみたんだけど、どうでしたか?」
「あそこのファシリテーションのポイントどうでしたか?」
とすぐにフィードバックを求めに来てくれます。 
素晴らしい学生達に囲まれて幸せです。

 

一緒に見ていた同僚の教授も、
「現場でもなかなか聞けない質の高い議論でおもしろかった」
と絶賛。

ここからまだまだ行きつ戻りつするでしょうが、どこまで深化していくのか本当に楽しみです。

 

ぼくの仕事は、「対話型模擬授業検討会」が機能するための実践知をさらにつきつめていき、言語化していくことだなー。
また新たにポイントがいくつか見えてきました。実務家教員の仕事はここだなあ。
同僚、渡辺さんは、丁寧にデータを収集してくれています。起きた現象の分析も切れ味抜群。研究者教員の研究的視点は本当に勉強になります。
あー楽しい一日だった。やっぱり実践はいい。

 

教師教育って実践の場だものな。

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