軽井沢風越学園、メルマガ発行しています。
軽井沢風越学園設立プロジェクト、一体どうなっているんだろうと思われている方もいらっしゃると思います。
昨日のTV「報道特集」のISAKの特集の中で理事長の本城が少し登場してしましたが、なかなかプロジェクトの進捗が伝わっていないなあと。
今どんなことをやっているかというと、主に学校建築のデザインの相談、カリキュラムづくり、教員の採用、職員組織づくりの調査、そしてサマースクールの企画等々、実は大変忙しく準備にいそしんでいます。
メンバーも毎週末のように誰か彼かは集まって打ち合わせたり、調査に行ったりしています。
バタバタバタバタ。水上は優雅に泳ぎつつ、水の下では思いっきり足動かしている水鳥状態。いや、水上もバタバタしているか・・・・
とはいえ、なかなかぼくらが今どんなことをしているか、どんなことを考えているかを興味を持ってくださっている方々と共有できていないのは事実。
というわけで、メールマガジンを始めました。既に2号まで出ています。web上でも読むことができます(バックナンバーも読めます)。
自分で言うのもなんですが、力を入れてつくっているので、呼んでいただけるとうれしいです。
かぜのーと第2号(2017年6月15日発行) – 一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団
感想、聴かせていただけると嬉しいです。
なお、メルマガ登録は以下よりできます。
ぜひ登録してくださいね。
興味を持ってくださっている方々とつながりながら、一緒に「新しい『普通』の学校っていったいどんなカタチなんだろう」という問いを深め、実現への道を一歩一歩進んでいきたいです。
どうぞよろしくお願いします。
ちなみにぼくは今、「学びの個別化」のカリキュラムのことで頭がいっぱいです。
頭を傾けると耳から出てくるレベルです。
国語は大まかなイメージが描けてきているので、次は算数・数学の個別化カリキュラム(自由進度)だ。専門家の知恵を借りたい!
朝のチェックイン
おはようございます。
今日はちょっと遠くまで出張です。
大学院の授業では、最初に「この1週間どうだった?」というチェックインの時間を設けています。
近くの数人とおしゃべりする時間です。
この時間がなんともぼくは好きです。週の始めの波長あわせ。
軽井沢風越学園のプロジェクトでも、毎朝6;40に5分間だけ、朝のチェックインの時間をつくっています。名付けて「朝のーと」。毎日交代でお題を出して、ちょこっとおしゃべりする。
たったそれだけの時間ですが、1日のスタートに何ともいい感じ。波長があっていくような。
「朝のーと」
http://blog.onbetsu.net/mt/2017/05/02/post_589.html
ちなみに今朝のお題は「もしも、ドラえもんのひみつ道具を一つもらえるとしたら、何にする?」
でした(笑)。
選ぶ道具で、その人の今がちょっと垣間見えてたのしい。
さて。
ぼくは教室でも毎朝その時間を持っていました。
例えばこんな感じでした。
* * *
朝のサークルタイム。ある月曜日の朝。
月曜日の朝は、なんとなく子どもたちが疲れて見える。
スポーツ少年団での練習や試合のあった人、
遠出をして帰ったばかりの人、
ついつい夜更かしをした人。
全体的になんとも調子が出ない感じ。
ボクもまた、ちょっとボーッとしていたりする。
そこで朝のサークルタイムでは、おはよー!とあいさつをした後、
毎日いろんなテーマでおしゃべりする。
この日のテーマは「土日どんな風に過ごしていた?」。
29人と人数が多いので、まずは近くの2、,3人で対話する。
いろいろあった人もなかった人も、ワイワイと楽しそうだ。
「野球大会だったんだけどさあ・・負けちゃった−」
「雨降ってたからずっと家にいたよー」
「父の日の準備始めた?」
3分くらい話した後、数人の人が全体にシェアする。
「だれかみんなに話してくれる?」
「じゃあ、おれが」と、Kくん。
「土曜は朝は10時頃起きて、お母さんに怒られながらパンを食べたんだよね」
>起きるのおっそー!
子どもたちからつぶやきがもれる。
「昼ご飯は食べなくて−、で。部屋の片付けしろって母さんに怒られたから、いやいややって〜」
>あはは
「夜ご飯食べて、1日終わった−。」
>わはははは!なんにもしてないじゃん!
うまいつっこみのようなつぶやきが入る。
「日曜はなにしたっけなー、午前中部屋の片付けして」
>どんだけ汚いんだ!
「午後は部屋の片付けしてるっていいながらゲームして、
夜ご飯食べて終わった−。
雨降っちゃうと野球がないから
急にやることなくなるんだよねえ〜 」
>ああ、わかるー。
外のスポーツをやっている子達から共感の声。
たわいもないこんなことを、みんなで笑ったり、うなずいたりしながら、
クラスの波長をゆっくり合わせていく時間。
ボクのクラスは,こんな感じでゆるやかな1週間のスタートを切る。
* * *
ちょっとした時間でも、その時間をとることに、そのコミュニティの中で大切にしたいことが表れているんじゃないかと思うのです。
ちなみに我が家では、晩御飯の時間がそう。
それぞれが1日の報告をしてワイワイしてます。
では今日もよい1日を!
自分用メモ。日々の振り返り。
①継続できているか。
②エピソードまで記述しているか。
③起きたことだけではなく自分の感情にも向き合えているか。
④そこからの気づきの質をあげられるか。
⑤「自分」に焦点があてられているか。
⑥視点を変えられているか。視野を広げられているか。視座を上げられているか。
⑦前提を問い直せているか。自分を問い直せているか。
⑧とはいえ、楽しく、気楽にやれているか。
次のためのポジティブななにかをみつけられているか。
●「いまここ」で振り返ることが重要。
先延ばしにした振り返りは、あっという間に経験が流れていってしまう。無意識のうちにゲシュタルトがその経験を流してしまい気づきが生まれにくい。
感情の機微が薄れてしまっている。
●他者のせいにしている振り返りは学びが生まれにくい。
●自分に酔った振り返りは残念な自己を強化する。
●エピソードのない雑ぱくな振り返りは、記録としての価値が半減する。のちに読み返しての「メタリフレクション」がおきにくい。
●たまの振り返りは、ただのイベント。
●気づきの質を上げるには、「他者の目」が必要。
自身に見えていないところにフォーカスするための「他者の目」。これは必ずしも人でなくともよい。
視点を変える、ということ。
●書かされる振り返りは、鉛筆のムダ(パソコンの電源のムダ)。
グチは振り返りではない。
●自己肯定ばかりを続けていては、同じところをグルグル回り続ける。
●真摯に自分に向き合い、誠実に振り返りを続けた者が、振り返りを成長の糧にできる。フィードバックを自分の成長につなげられる者が、やがて自分を自分で育てられるようになる。
●振り返りは自身との真摯な対話であり、「自分がどうなりたいか」の結晶。
一気読みした!『ブレンディッド・ラーニングの衝撃』。
ちょっと前に『ブレンディッド・ラーニングの衝撃』を読み終えました。
おもしろくて1日で一気読み。
ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命
- 作者: マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー,小松健司
- 出版社/メーカー: 教育開発研究所
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いやあ、★★★★★ですね。
- 作者: クレイトン・クリステンセン,マイケル・ホーン,カーティス・ジョンソン,櫻井祐子
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2008/11/20
- メディア: 単行本
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この本の実践編と考えていいです。この本もおもしろかった。
学びの個別化を考えていくときに、避けては通れないオンライン学習。
翻訳本が出ているともつゆ知らず。発見できてよかった。
「ブレンディッド・ラーニング」とは、
少なくとも一部がオンライン学習から成り、生徒自身が学習の時間、場所、方法またはペースを管理する正式なプログラム(p47)
のこと。
同じICT活用でも、いわゆる電子黒板での授業や教師の指示によるタブレットの一時的な使用とは全く位置づけが違います。
学習者に主導権を渡した学び方といえます。
著者は、今の学校制度(学齢別学年制度、工場型教室モデル)は、これまでは時代に見合っていたとした上で、もうこのモデルは不十分だとしています。
〜二人の子どもが同じ年齢だからといって、同じペースで学び、同じ学びのニーズを持っているわけではないからです。子子どもは一人ひとり異なる学びのニーズを持ち、学びのペースも違うのです。認知科学者、神経科学者、教育研究者など専門家たちは、知能や学びのスタイルの違いについて激しく議論していますが。生徒によって学びのペースは違うということに異論を唱える専門家はいません。
〜すべての子どもたちが学校と人生で成功するよう願うのであれば、生徒一人ひとりの学習ニーズにあわせて教育をカスタマイズ、または個別化する必要があるということです。
しかしこれまでは、教師一人で30人もの学習をカスタマイズするのは不可能でした。
そりゃそうですよね。(愛知県緒川町立緒川小学校のような個性化・個別化教育のチャレンジはありましたが。)
だからこそ学齢別学年制度、工場型教室モデルがずっと残ってきたわけです。
しかしICTの発展によって一気にそれが可能になる!=ブレンディッド・ラーニングです。
ブレンディッド・ラーニングにより個別学習と習熟度基準学習が実現する。
自分のペース、自分の方法で学べる環境は、学習者にとってとても大事。自分のコントローラーを自分で持つことに他なりません。
この本にはブレンディッド・ラーニングのモデル分類(ローテーションモデル、フレックスモデル、アラカルトモデル、通信制モデル)とともに、その実例校が、動画のリンク(QRコード)と共にいくつも紹介されています。
この動画のリンクがいい。実際の様子がわかるので、本の理解が進みます。
例えばフレックスモデルのSummit public schools。
https://www.nextgenlearning.org/grantee/summit-public-schools
ぼくはこの本の中で紹介されている学校では、ここが最も気になっています。
詳細は本を読んでいただくとして、サミット校の8つの特徴を紹介します。
①生徒主導
②個人の達成度
③(生徒自身の)学習データへのアクセスとフィードバック
④学習目標の透明性
⑤静かに一人で読書をする時間
⑥意義ある就業体験
⑦メンター体験
⑧前向きな集団体験
ね、気になるでしょう?
「ブレンディッド・ラーニング」は破壊的なイノベーション。
前作で言及されていましたが、今の教育が変わらないのは「誰かの怠惰や悪意」ではなく、人々の「努力や善意」こそが停滞をもたらす。一斉授業の改善は「持続的イノベーション」で結局変わらない。「学習の個別化」こそが「破壊的イノベーション」で教育を変える。新しい教育システムは、既存の教育システムから分離して導入を進めるべき。その実例としてのサミット校です。
ブレンディッド・ラーニングでオンライン学習を取り入れることで学校はどう変わっていくのでしょうか?
筆者によれば、オンラインで基礎学習教材を提供すれば、教師は空いた時間とエネルギーを、例えばプロジェクト学習などの深い学びのデザインに注力できるといいます。確かにその時間を生み出せることはとても重要だと思います。これは子供達にとっても同様で、個別学習で効率的に学ぶことで、そこで生み出される時間を有効に使えるといいます。
学校は授業以外の重要な課題に資源配分をシフトすべきです。たとえば、優れた対面でのカウンセリングやロールモデルの提供、討論会、振り返り、清潔で快適な環境、いじめの撲滅、栄養十分な食事、知識型市民の育成、健康福祉の増進、体育・音楽・芸術系のプログラム、生徒を創造的なイノベーターに転換すること等です
この本での指摘で特に印象に残っているのは、
教師の専門分野(例えば教科の専門性)は、より重要になる。
ということ。つい、
「そういう学びの場が成立すると、教師の重要な仕事は場づくりや、メンター、ファシリテーターの役割に徹することになるんじゃない?」
とぼくらは思ってしまいがち。
もちろんそれも大事だけれど、今まで以上に専門性が大事になると指摘してます。
なぜか?それはぜひ本書を。
もう一つは、ブレンディッド・ラーニングが成功するには
「学校文化(校風)」の醸成が不可欠である
ということ。個別化を「孤立化」にしないためにも重要。ではどんな学校文化がいいのか?
仮説を持ちつつ、是非本書をお読みください。
とここまで書いてきましたが、疑問点もいくつか。
1,日本でそこまで活用できるオンライン教材はあるのか?
2,数学、英語は親和性が高そうだが、国語は?
3,ほんとに教師の時間はそれで生み出されるのか?
4,パソコンにみんなが向かっている様子が楽しそうに見えないけれど、これはぼくの「既存へのとらわれ」の証拠なのか?
5,「最短距離」で学ぶのがいい学び方なのか?
・・・・と書いてきて自分の疑問点がはっきりしてきました。
オンライン教材である必要はどこまであるのか?
です。それこそそれが合う子もいれば、合わない子もいる。
アナログ教材でけっこういける気もする。
その時に重要なのはきっと学校文化、というかコミュニティの文化になっていくのでしょう。
「でも学習の進捗管理はICTが絶対いいな」とか、
「おもいきって取り入れることで、そもそもから問い直すきっかけになるのかもな」とか、いろいろ思考を深めたい問いが生まれた良書でした。
日本の学校教育パラダイムがいかに遅れているかを実感します。
「興味はあるけれど、本を読むよりも動画とかのほうが学びやすいんだよね、自分」という方は、なんとカーンアカデミー(反転学習で有名ですね。これもブレンディッド・ラーニングのひとつ)に動画が多数あります。
ぼくは通勤電車の中で全部見ましたがとてもわかりやすい!日本語字幕もついていて(!)おすすめです。
あすこまさんのブログにこの動画サイトが紹介されていて、見ることができました。
2014年から注目していたなんて、どんだけアンテナが高いのだろう・・・・
このつながりで、ネット界で話題(?)のN高校についても読んでみました。
キンドルで購入して、お風呂で一気読み。
いやあ、これもまた刺激的。
ある意味これもブレンディッド・ラーニングだ。
Alt Schoolといい、サミット校といい、実際に見てみたい学校が増えてきた。
どこでもドアがほしい・・・
一生懸命向き合う。
うん十年前。
ぼくが初任のせんせいだったころの学級通信が出てきた。
1994年っていったら、まだwindows95が発売される前。
パソコンの世帯普及率が15パーセントを切っていた時代。
人生初の学級通信は手書きだったんですね。NO54ということは週1回以上出していたんだ。がんばったなあ、おれ。
この通信の題名、「ゆうき」は、ケストナーの『飛ぶ教室』からとりました。
「賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病だったような時代がいくらもあります」
今となっては若々しい選択だったなって思うんですが、でもいいタイトルだとも思います。ちなみに次の年の題名は「風に向かって立つライオン」(さだまさしの曲です)、その次の年は「ちんぱんじいからかいじんぱんち」でした。
どんな授業をしたらよいのか、毎日毎日悩んでいた時代。
学校から歩いて10分のところの山の斜面に行って、葉っぱの布団で寝てみたようです。このころって、鳥山敏子の『イメージをさぐる』を読んでいたり、学生時代にキャンプリーダーをやっていたなごりで、「身体」や「体験」の中に学びを深めるヒントがある、って思っていたんですよね。そもそも、子ども時代外で遊びまくっていたからこそ、「やってみよう!」と思えたんだと思います。
春が来る直前の斜面。まだまだ肌寒い中、葉っぱの布団は温かかった。
その頃の子たち(もう30過ぎの立派なオジサンオバサンだけれど)に聞いてみると、全然覚えていないみたい。でも原体験なんてそんなものだよね。
今。
もしこの物語を学校で読んだら、やっぱり同じことをするなあ。
そう思うと、人の「根っこ」って思いの外いろいろなことに影響しているんだろうなあと思います。
外で遊びほうけた子ども時代。自由な試行錯誤が許されていた子ども世界。
幸せな子ども時代の原体験は、全然知らないところで人生にいい影響を及ぼしているんだろうと思いたい。学びを教室の中に矮小化してはいけないなあ。
読んだら恥ずかしくなるものばかりの初任の頃の学級通信ですが、一生懸命向き合っていたことだけは間違いない。
それで免罪になることはないけれど、でも「一生懸命向き合う」って初めてだからこその誠実な熱があったんじゃないかなあと思います。
若い人に期待することって、「できること」なんかじゃない。足りなくて当たり前。とびこんで、一生懸命向き合い、時には痛い思いをしながら、悩みながら、ちょっとずつ一緒に進んでいく。
その頃にしかできないこと。
手慣れな頃に大きな失敗しますしね(心あたり大あり……)。
その初々しいまでの熱を、今ぼくは取り戻しつつあります。
軽井沢風越学園の学校づくりプロジェクト。
すごく大変だけれど、すごく楽しい。一生懸命向き合っていこうと思います。
「そうきたか」。
学級がはじまってすぐの頃。
まずは先生であるぼくらがあそびの触媒になることも大事。
そんな頃の昼休み。こんなことがありました。
「Sケンやろう!」とクラスの子が飛び出していきました。
「せんせいも来る?」
「うーん、じゃあ職員室にこのプリント置いてから行こうかな」
「じゃー先に行って始めてるね」
「チーム分けどうする?」
「昨日は男女対決だったから、今日はまぜて出席番号でいいんじゃね?」
「外行って決めよう-」
外に向けて駆け出します。こらこら階段を走らない。
ぼくは職員室によってのんびり校庭に向かいます。
まだ4月でクラスがスタートしたばかり。
ぼくが早く行くと、
「先生にチーム分けを仕切ってもらおう」という気持ちが生まれやすい。
でも自分たちで適当にチーム分けしてスタートすることってとても大事だと思うので、わざわざのんびりめに。
校庭に行くと、何人かの子が憤慨した感じで駆けてきました。
「Sケンの場所、他のクラスにとられてた!」
「私たちがいつも使ってるのに、先にとったって!」
他のクラスでもSケンが流行り始めているので、場所の奪い合いになったようです。
「あらら。どうする?」
「だってずるいよー!」
「どうしたらいいかねえ。このままじゃできないよ?」
「でも、あの線、せんせいが書いた線でしょ?」
「そうだけど、校庭はみんなのだからね」
「……じゃあ、一緒にやろうって言うかぁ……」
「言ってみれば?」
とボク。
ある男子が交渉にいきました。
「2クラスで対戦しようよ」
「こっちは全員来てないから負けるし!!」
「オレ達が先にとったんだぞ!」
と、ボス的な感じの男子。
「だってよ!センセイ!」
憤慨してます。
なんだか険悪な空気。
ついつい、先生であるぼくらはなんとかしようとしてしまいがち。
でもこんなときは、
「そうきたか!」とリフレーミングする。
一緒に困ってみる。
* * *
(おお、そうきたかー!おもしろくなってきた。どうなるかなあ。こういうトラブル体験するの大事だぁ。まずは見守ろう。)
「こまったねえ・・・」
とぼく。
爆発寸前の人。
なんとかしようとする人。
あきらめて鉄棒に向かう人。
行動はホント様々。
そんな中、一人の女の子が、その男の子に、
「じゃー、ごちゃごちゃに混ぜてやろうよ!」
と一言。
そうしようそうしようと場の数人がグッと動き出し、
勝手に2チームに分かれ始めた子がでました。
「えーー」
と顔をしかめる子も何人もいる中、周りがばばっと動き出して、それを止めることもできずに、なんとなく混ざってスタート。
始まってしまうと、何事もなかったように遊び出します。
風が強く、砂埃が舞う中、泥だらけになり、ぶつかり合ってます。
まあ、なんともうまくいきすぎですが、たとえもめてしまってもいいと思ってました。
そのトラブルは子どもたちのためのもの。
どちらにせよ、待っているつもりでした。
この場で解決しなくてもいい。
「そうきたか」とそのトラブルを見守るのってけっこう大事だと思うんです。
たくさん失敗する機会を大切にしたいな。
※「そうきたか!」というリフレーミングの言葉を教えてくださったのは、福岡寿さんです。『授業づくりネットワーク』2016年春号での対談、是非お読みください!
振り返りジャーナル重版がきまりました。ありがとうございます。
おかげさまで重版が決まりました。
みなさんありがとうございます。
(同僚の渡辺さんがもうすぐ書評を書いてくれるそう。楽しみやらこわいやら…)
「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)
- 作者: 岩瀬直樹,ちょんせいこ
- 出版社/メーカー: ナツメ社
- 発売日: 2017/02/16
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振り返りジャーナルは、毎日書くのが大切。
日々の中に「振り返ってみたいなあ」というポイントがあるかどうか。
それは、日々の学びが充実しているかどうかともつながります。
ぼくらの仕事が問われる面でもあります。
ある日の振り返り。
『時をさまようタック』という本で、ブッククラブをしていたころです。
- 作者: ナタリーバビット,Natalie Babbitt,小野和子
- 出版社/メーカー: 評論社
- 発売日: 1989/12
- メディア: 単行本
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★今日のブッククラブはとてもよかったと思います。理由はみんな本の内容をしっかり読んできていて、話し合いがスルスル進んだし、もうとまらなかった。○○のとってもいい質問のおかげでみんなさらに深まって話し合うことができた。作者の気持ちになって「どうしてこんなストーリーにしたんだろう。」
「どうしてこんな結末にしようと思っているんだろう」
などといった話し合いをしました。
他に特によかったのは、登場人物になりきって「自分だったらどうする?」「どうしてこんなことしたんだろう?」「わかるー!」「どうしてこうしなかったんだろう?」「〜だからじゃないかな?」
「なるほど〜!だったら賛成だな」など、自分だったら、がたくさんでたブッククラブでした。
人の幸せってなんだろう。限りがあるから幸せってことはあるかもしれないな。
★今日のブッククラブは、とっても奥が深かったような気がします。
なぜかというと、タック家の行動で、メイがなぜ打ったのか、ということです。
このとき、メイはどんなことを思っていたのかを話し合いました。そこでぼくたちの班は、「ウィニーのため」という考えが出ました。
(コールバーグの)レベルで言うと「他者を思いやる」ですね。
だけど、自分で正しいと思ったんだとしたら、メイは少し考えたほうがいいなと思う。もしメイの行動が正しいということになったら、世界は成り立たないと思います。世界がこれをうまく理解できたとしたら、きれいな世界ができると思う。でももう少し家で考えてきます。今日は家で哲学者になってきます。
同じ日でも算数の方が自分にぐっと迫ってくる人もいる。そのちがいがおもしろい。 この日の算数は「5分の1÷3は、なぜ分母に3をかけるか」をクラスで協同探究。
★算数で○○の説明を聞いて、わかったような気がしたので、自分なりにちょっと変えて考えて見ました。
でも算数って難しいところがおもしろいと思います。特に、わからないところを自分たちの力だけでどうにかしてわかるようになるっていうのが、おもしろいです。
★私は、今日の算数めっちゃ楽しかった。
だって5分の1÷3のやり方を、○○と考えていた。 そしたら、○○が来て「大丈夫?」と聞いてくれたしゅんかん、
「全然大丈夫じゃないから教えて-!」と言ったら、
「OK!」と言ってくれて助かった−!
でもそこからすごいことになったんだ!
話が止まらなくなって、ホワイトボードもいっぱい!
すごかったよ。
話がとまらなくなって、
ブッククラブみたいじゃない?
○○も、算数にホワイトボード出して使うって、天才というか、さえてるなー!
わかったしゅんかん めっちゃうれしくて信じられなかった。
だから今度の算数も、こんな感じの算数にしたいな−!
その日1日、あの子はどんなことを考え、感じていたんだろう。
放課後、そんなことを想像しながらジャーナルを読む時間は、ぼくの大切な時間でした。ひとりひとりの成長のストーリーが紡がれていく感覚。
とはいえ、ジャーナルの限界も知っておきたい。
ジャーナルを通してみえてくること、みえてこないこと。
書けること、書けないこと。
あすこまさんが書かれているように、
「教室という権力空間で、教師が生徒に振り返りを書かせる」ことに対する懐疑
ということは絶えず意識しつづけないとなあと思います。
読者であるぼくがいることで「書かせてしまう」こともたくさんあったと思うのです。