いわせんの仕事部屋

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自己主導の学び

自分の学びを自分で進めていく。
ボクらはそれを「自己主導の学び」と呼ぶことにしました。

 

「わたし」からはじまる…自己主導

 

軽井沢風越学園は「わたし」からはじまります。

これまでの学校では、何を、どう、どこまで学ぶかを大人が決めていました。いわば「学びのコントローラー」は大人が持ち、「わたし」よりも「みんな」が優先されていたのです。私たちはそのような学校の姿から一歩先に進みます。「学びのコントローラー」を大人ではなく子ども自身がもつ。それが軽井沢風越学園の目指す学びのスタイルです。軽井沢風越学園では、何を、どう、どこまで学ぶかを一人ひとりの子ども自身が決めて、学んでいきます。そして学びの質を深めるために、自分自身の学びを問います。これを私たちは「自己主導の学び」と呼びます。

<学びを決める>…この時間でわたしはこれを学ぶ。 このことをわたしはこう学ぶ。わたしはここまで学び進める、学び深める。
<学びを問う>…この時間でわたしは何を学んだのか? この学び方は自分にとってどうだったのか? 次に何を学ぶのか? もっと知りたいことは何か?

こうして「決める」と「問う」ことを繰り返し、学びを自分のものにしていくのが自己主導の学びです。

ボクは小学校現場でこの自己主導の学びの実践を試行錯誤してきました。
算数でも単元内自由進度で学ぶことをメインとしてきました。

自分で学習計画を立てる。
自分で学ぶ。
自分の学びをふり返って改善していく

とてもシンプルな学び方ですが、学習の基本だと思うわけです。

新しい指導要領で言われている「主体的な学び」はまさにこれです。


教室で
「先生、次の時間なにするの?」
と聞かれるとき。
きっとそれは、学ぶことが外から「降ってくる」状態。 「学びのコントローラー」を教師が操作している状態。


自分の学びのコントローラーを自分で操作する。
自分で操作するからもちろん失敗もする。
その試行錯誤の積み重ねから「学ぶ」ということが自分のものになっていくと考えています。

iwasen.hatenablog.com

 

では、一人で孤独に学ぶということでしょうか?
いえ、けっして孤立して学ぶわけではありません。
ゆるやかな協同性が一人ひとりを支えます。必要に応じて人間関係の濃い薄いを越えて、気楽に他者の援助や協働を求めあいます(自然な学び合い)。

学校が、「学び合うこと、聴き合うことをベースとした実践コミュニティ」として成立していれば、自己主導の学びはいわば、

「みんながちがうことをやっていて、必要に応じて自然に学び合う学習」と言い換えることができます。

そうすれば全員が違うことをやっていても、サポートが必要になれば人間関係の濃い薄を超えて「ちょっと教えて」と気軽に聴くことができる。

援助希求が機能している学習環境をベースに、一人ひとりが学んでいける。

 

それが1年ではなく、もっと長いスパンで保障されていたらどうなるか。
軽井沢風越学園での大きなチャレンジのひとつです。

そのためには、時間と空間、そして仲間の「さんま」が重要になってくると考えています。

iwasen.hatenablog.com

 

ボクの予測としては、小学校だけを考えても早ければ3年、ゆっくり学んでも6年間で「しっかり学んだ!」といえる状態に、子ども自身が自分で持っていけるようになると思います。
そして探究に没頭できる時間的なゆとりも生まれるはずです。
そのためのカリキュラムづくりがこれからの大きな仕事です。

 

 

というわけで、軽井沢風越学園のホームページに「自己主導の学び」、そして校舎の中心になる「ライブラリー」の情景を追加しました。

自己主導の学びと協同の学びのゆるやかなつながり – 一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団

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軽井沢風越学園の情景

軽井沢風越学園での学校づくりのプロジェクトがスタートしました。

想像以上の反響に身の引き締まる思いです。

 

さて、具体的のこの学校はどのような姿を目指しているのでしょうか?

「目指す学校像」と「大切にする在り方」だけではイメージがわかないかもしれません。

 

具体的な学校の姿としてどんなイメージになるのか。

その「情景」を描いてみました。

これから少しずつ「情景」を増やしていきたいと思います。

 

当然ですが、あくまでこれは現時点での情景です。

これからメンバーが増え、そのメンバーと対話を重ね、準備を進めていくうちに、どんどん変化していきます。その変化が楽しみでもあります。

無事開校した暁にも、ずっとその「情景」は変化し続けると思います。

情景を通して、学校の姿を考え続けたいと思います。 

 

第1弾は朝の様子です。

ぜひ感想を教えてくださいね。

情景 – 一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団

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学校づくりにチャレンジします。

学校をつくります。


ボクはこれまで、小学校現場で
「幸せな子ども時代を過ごせる学級」
を目指して試行錯誤し続けてきました。

できたことも、できなかったこともありました。
その中で、学級単位を超えて学校全体が変わることの大切さを実感しました。

 

2年前から教職大学院で教師教育に関わる機会に恵まれました。

昨日のエントリーにも書きましたが、学生の皆さんとの毎日の中で公教育の可能性を日々感じています。

その中でも改めて確信したことがあります。

 

「学級が変わる」から「学校が変わる」へ。

 

新たな学校のカタチを考えたい。

幸せな子ども時代を過ごせる学校ってどんなカタチだろう。
あそぶことも学ぶことと同じぐらい大切にされる学校ってどんなカタチだろう。

関わるすべての人が力を発揮できる学校ってどんなカタチだろう。

 

新しい学校のデザインを考える時です。 
本城慎之介、苫野一徳、小川 佳也という志を同じくする人たちと出会い、いよいよそのチャレンジを始めます。

参画、サポート、応援してくれる人たちもいて心強いです。これからも増えていくとうれしいな、と思っています。


公立学校の新たなモデルとなるような学校を目指します。
見に来てくださった方が、子どもの姿と教職員の姿から、
「ああ、この感じかあ。やってみたい!」
と思えるような学校を目指します。


道は簡単ではありませんが、
今はただただ楽しみです。

 

設立メッセージ

 

2020年4月に3歳から15歳の学校を軽井沢で…

 

赤ちゃんは、たくさんの愛情を受け、身の回りのいろいろなものに関心を向けながら、まずは一人遊びをたっぷり楽しみます。豊かな一人遊びの時間を積み重ね、誰かと一緒に遊ぶことの楽しさを知ります。そして、遊びに応じていろいろな人と関わりを持ちます。そうすることで、他者や世界に興味関心を持ち、学んでいくのです。

遊びが学びへとつながっていくこの人間の自然な育ちを大切にした学校をつくりたい。その思いをベースに私たちは、3歳から15歳までが一つの校舎で学ぶ「軽井沢風越学園」の2020年4月開設を目指して動き始めました。

私たちは、一斉授業・画一的なカリキュラム・固定的な学級編成等に代表されるような従来型の学校教育に限界を感じている一方で、子どもがもつ学ぶ力と学校教育の可能性を信じています。軽井沢の豊かな自然環境を活かし、3歳から15歳が共にゆるやかに関係する環境を整え、学校教育の新しい在り方を提示し、公教育のモデルとなるような学校の設置 を目指します。また、軽井沢町との連携を重視し、“しあわせ信州”を学校教育の観点から具現化することで地域に貢献します。

 

丁寧に丁寧に進んでいきます。ここがスタートです。

 

「わたし」からはじまる

「わたしたち」で広げる 

「わたし」と「わたしたち」で深める 

 

ボクたちだけの力ではつくれません。

知恵を貸してください。力を貸してください。

 

ぜひホームページをのぞいてみてください。

http://kazakoshi.jp/

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教職大学院での授業。

昨日は「学校教育ファシリテーターの養成」の授業。

 

前半での学びを踏まえて、後半では、ひとり一人の関心をベースにチームを作って、オリジナルワークショップをデザインし、実際にやってみる時間となっています。

今日も4本のワークショップ。

「断捨離ワークショップ」「学習の真正性ワークショップ」「OJTワークショップ」「若手育成ワークショップ」。

 

それぞれのワークショップがまたおもしろい。現職院生、学卒院生が混じって本気で組み立てていて、どれもこれまでにないユニークなワークショップです。
ワークショップが終わると、参加者から、参加者視点の忌憚のないフィードバックをもらいます(時には厳しい・・・)
このフィードバックが貴重。企画・運営と実際のズレが見えてきます。
ワークショップが終わり、フィードバックをもらい、授業も終了後、自主的に残って遅くまで振り返りを行っているチームもいくつもありました。振り返りこそ学び。
起きたことから何を学ぶか。そのことの価値を体感するのが教職大学院の役目の1つです。
さきほど数人からはメールで長い振り返りが送られてきました。その振り返りの深まりに、これからの学校教育の可能性を感じています。

 

人の力はすごい。

 

学生の皆さんの姿に、公教育の変わる可能性を確信します。
学び続ける人は、たいていのことはクリアしていくのだろうな。
なによりうれしいのは、この授業を超えて様々な場面でファシリテーションを活かした場づくりが起きていること。
日常になってきていること。授業以外の場面で、「自分たちで場をよりよくしていこう」という動きが見られます。
「場のつくりかた」へのアンテナが高くなっている。

 

公教育は変わる。なぜなら、人には力があるからです。

 

結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、
「働き方」が変わることから、
世界が変わる可能性もあるのではないか。
この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、
世界が変わる方法はどこか余所ではなく、
じつは一人一人の手元にある。

 


(『自分の仕事をつくる』 西村佳哲 晶文社 )

 

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「岩瀬さん、いい職場をつくれない人は、本当の意味でいい学級はつくれないよ」

初任の学校の5年間。
ボクは「自分のやっていることが正しい」と無邪気に信じ、同僚や管理職から何かを言われても、自分のやりたいように学級で実践し続ける教員だった。自分の学級さえよければそれでよかった。自分さえよければそれでよかった。当然職場では浮いていた。
普通は職場で浮くとつらい。
しかし、「学校外の学習サークル」という居場所があったのでボクはわりと平気だった。
そこで勤務校を批判していればよかった。
 
 
20代中頃。
初めて異動した学校にSさんという実践家がいた。当時50歳ぐらいで研究主任だった。
当時ボクは教員6年目。実践がおもしろくなってきた頃で、学級経営や授業づくりに夢中になっていた。学外の学習サークルに参加して資料発表することも増えていて、明らかにボクは天狗になっていた。自分はこの職場の中でいちばん勉強している。外にも学びに行っている。本も読んでいる。にもかかわらず同僚たちは学びにも行かず、今までのことを繰り返しているだけではないか。教育委員会もおかしい。管理職もおかしい。学校の現状に落胆し、批判的であることがボクの中の正義だったのだ。
 
みんな何もわかっていない。
 
そんな中、Sさんに出会った。彼は全生研(全国生活指導研究協議会)の実践家として学習サークルも主催されている有名な実践家で、同じ職場でそのような人に出会ったのは初めてだった。
「岩瀬さん、どんな実践をやっているの?」
最初の飲み会でSさんにあいさつに行くとこう質問された。
ボクは意気揚々と自分の実践を開陳し、
 「初任校では、けっこう同僚とぶつかってました。まあ目立っちゃってましたから。ほんと嫌になっちゃいますよ。校長も何もわからないくせに注意ばかりしてきて。何にもわかっちゃいないですよね。あはははは」
うんうん、と聞いていた彼は一言こう言った。
 
 
 
「岩瀬さん、いい職場をつくれない人は、本当の意味でいい学級はつくれないよ」
 
 
 
その後飲み会の度に激論になった。
「いや、まず担任は自分のクラスに責任がある。順序が違う。」
「岩瀬はわかっていない」
毎回明け方まで飲んだ。
 
ボクはしばらくSさんの言葉の意味がわからなかった。
そのことの意味が少しずつわかってきたのは、その学校の職員室の中に、初めてボクの居場所が生まれた頃だった。
彼は、本当に職員室を大切にする人だった。学年はいつも一緒に実践。
「担任同士は夫婦みたいなもの。いっぱい話して協力していい関係を作って一緒に子どもたちを育てていくんだ」。
当時のその学校は特別活動の研究に取り組んでいた。
学校の「子ども祭り」を創り上げるプロセスで、彼は主任として職員を巻き込み、保護者を巻き込み、「みんなで行事をつくる」プロセスをていねいにつくり、職員室を一つのチームへとファシリテートしていた。
「岩瀬さん、ステージで子どもと地域の人の希望者の出し物大会やりたいんだよね。企画お願いしていい?」
「岩瀬さん若いからどんどん動いてくれて助かるよ」
いつの間にかボクもチームの一員になっていた。
この学校に関わっているすべての人の力を信じている人だった。ボクは保護者の方々からも大切にされた。保護者の方々もSさんに大切にされているのを実感していたからだ、と今はわかる。
 
職員で沖縄へ行ったり、オーストラリアに旅行したりするほど関係がよく、困っている人にはいつも誰かがサポートに回るのが当たり前の職員室だった。跳ねっ返りだったボクの実践も、1年、2年と経つうちに、「岩瀬さんやっていることおもしろいねー!教えて教えて」と先輩の先生が聞いてくれた。Sさんがつないでくれていた。学年で一緒に実践していく、ということが文化になっていく学校だった。
「みんなの学校をみんなでつくる」が原則の学校。ずっとここで働いていたい、そんな職員室の中で「自分は大切にされている」と体感したボクは、Sさんの言葉、
「岩瀬さん、いい職場をつくれないひとは、本当の意味でいいクラスもつくれないよ」
の意味が、その学校に異動して3年かかってようやく実感を持って理解できるようになった。
 
 
 
 
何のために学校はあるのか。例えば仮に
「その学校に来ているすべての子に居場所があり、その安心な場で、他者と関わりながら、一人一人が成長し、自分の生きていきたいように生きられ、お互いの生き方も尊重しあえるようになるため」(自由とその相互承認)と仮定しよう。
となるとだ。まず学級を、というのは、スタートから視点の置く場所を間違えていたんだ。
 
 
子どもたちは6年間かけて成長していく。いや一生かけて成長し続ける。
だからこそ「学校」はどんな場であるべきか。
目指す教育を学校で丁寧に共有していく。職員が対話を重ね、学び合い、エンパワーし合う。学校に関わる人みんなでコミュニティを創っていく。
そこがスタートなんだと彼は伝えたかったのだと今ならわかる。
 
 
 
職員を信じることは、人の力を信じること。
そして、それは子どもの力を信じることにつながる。
2つは入れ子構造だ。
職員の力を信じることができないならば、本当の意味で子どもの力も信じていないのだ。
何もわかっていないのはボクだった。
自分という狭い世界の中で世の中を見ていた。
Sさんの言葉が今になって、グッと染みてくる。
 
 

学習の個別化についてつらつらとメモ。

お世話になっている、藤原さとさんのブログが興味深いです。

kotaenonai.org

 

リアルな体験談だからこそ、個別化のよさと課題がよく見えてきます。

ありがたい。

以前、学習の個別化の実践で考えられる問題点について、以前4点にまとめました。

 

①「孤立化」が起きやすいこと。

「わからない」が「わかる」に移行する際に、自分の力以外になくなってしまいます。

行き詰まってしまったときどうしようもなくなってしまう。

その学びの環境は必ずしも安心・安全とはいえません。

 

②実践の方法によっては格差の拡大につながること。

「個人の責任で個人で進め個人で責任をとるモデル」になりかねません。

 

③学びのブレイクスルーが起きにくくなること。

 

④「自由の相互承認の感度を育む」機会を失ってしまう可能性

 

iwasen.hatenablog.com

 

これらのことは自分の実践から気づいた点なのですが、これはもうずいぶん前からわかっていたことのようです。

1920年代に実践されたドルトン・プラン。

学習の個別化の先駆的実践です。わかりやすい解説は苫野さんのブログへ。

ittokutomano.blogspot.jp

すごいですよね。1920年代ですよ。

大正時代は日本にも紹介され、広がっていきました。

パーカーストも何度も来日したようです。実践もされていたそう。

 

そして学習の個別化の問題に既に実践的に気づいているんですよね。

佐藤(2006)「宮城県におけるドルトン・プランの紹介とその反響」
http://www.sed.tohoku.ac.jp/library/nenpo/contents/55-1/55-1-14.pdf

によると、大正時代の成城学園でのドルトン・プランの実践の時に既に、学力差の拡大が既に問題になっていたそうです。

 

また、パーカーストがアメリカで実践している頃、教科の枠組みはそのまま保持しつつ(教科中心カリキュラムの保持)実践しうることへの批判もあったそうです。

で、方法上の自由は確保されている学習事項の自由が確保されていないとの批判から、キルパトリックのプロジェクト・メソッドによって修正・補完される必要があるという議論が当時からあったと佐藤は述べています。

 

ひえーです。

今ボクらが考えていること、実践していること、そこでぶつかっていることってとっくにその時代に考え、実践され、ぶつかっているんですよね。

 

さて。

ICTの普及、人的、物的リソースの充実により、再び実践の土壌が整っているのが今だとボクは考えています。

先に挙げたような問題点、当時クリアできなかった課題をどのように超えていくか。そのヒントは、今の日本の実践の中にいくつもあります。自由と協同をどのように融合していくか、ですね。

次は具体的なカリキュラムのイメージを書いてみたいと思います(いつかに続く)。